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粘土の塊が、何かに見え、何かを表すとき、物質そのものだけではない何かに変貌するのは、何が変化したからだろうか。「形が再現された」だけでは大雑把すぎるとすれば、形のどこがどう変わったその一瞬に、あるいは制作が積み重ねられる長い過程でできるのか。今回は、粘土を使って、塊の表現形式を変え、物や空間、イメージが多様に表れることを試す。
午前中は、卓上に設置された、静物モチーフをレリーフで制作する。
まず、彫刻と絵画の中間にあるレリーフという表現形式について、3種の石膏製レリーフ模像と画像を使用して説明した。違いとして、彫刻は多方向から見て立体としてその形態が成立するようにするが、多くの絵画は一方向から画面上に成立する。また彫刻は、単一の物体となるので、作品として背景は無いが、絵画は背景の空間まで描かれることが多い。
レリーフという形式は、彫刻とも絵画とも違って、一方向から、しかも背景の空間表現も含めて、同じ素材の凹凸によって表現する。
3点の時代や形式の違うレリーフ(石膏製)。
特に中央の「婦人像」を正面から見たときと横から見たときの、見え方の違いに注目する。
卓上のモチーフは、リンゴと角材、石膏製の三角柱もしくは円柱を組み合わせた、ほぼ同一条件になるものを3人に1組ずつ準備した。各参加者は、粘土2~5kg程度を使用して、粘土板上に制作。
絵画のように形をとって色を塗るわけでも、彫刻のように物だけを作るのでもなく、卓上のモチーフとその周りの台の面や背景の空間も含めて、同じ素材の出っ張りの差で空間表現が成り立つか、戸惑いながら制作する。
制作されたレリーフは参加者個々に違い、空間と視点の関係や、彫刻よりか絵画よりかによって、様々な表現となった。また、画像でマンズ-のレリーフをみて、塊と空間の両方が成立するのはどのような場合かを確認する。
カンディンスキ-《水門》の画像を配り、それを粘土板上に粘土で模写する。この際、午前中のレリーフのような、厚みの変化や、立体を起こすことと違い、作品を作っている色面のマッスの組み合わせをみて、それぞれの色面の密度を粘土の密度に置き換えることで、模写する。これは、画面の絵具の凹凸を粘土に写し取るものでもない。面をつくる絵具の強さ、肌理の粗密、表現されているイメージの粗密や空間との関係、面の強さや張りなどを総合的にみて、密度を感じてみる。画像で分からないことは展示室で作品を観察してくる。「密度」という、あまり聞き慣れない言葉が何を示しているのか、戸惑うが、とりあえず、表現されている物のテクスチャーや絵具をつけるタッチなどを手がかりに作業を進める方が多かった。
作品の中で、基準になる形と密度の在り方を見つけることができれば、そこから全体を解いていける。
制作中から水平では無く垂直に立ててみることをしたが、最後に立てた状態で並べてみる。絵画として表現された空間の充実度は、奥行きを感じるかだけではない。むしろ、各色面がそれぞれ張りを持ち、密度差のある色面の組み合わせが全体を形作っていることにもよる。その密度差を粘土で模写することによって、粘土の面的なマッスが、それぞれ、張りや強さ、密度を持ち得ることを確認した。
絵画だが、モランディの油彩や水彩の画像をみて、密度ということを説明した。
まず、塊が表す多様性について、1日目の2種類のレリーフだけではなく、ヘンリー・ムーア、ロダン、ピカソ、ハンス・ヨゼフソンなどを例に説明し、午前中はいろいろなイメージを喚起する塊を制作することを課題とした。普通、最初に作るべきイメージや題材を決定して、そこに向かって制作するが、意識的に固定した目標では無く、多様なイメージに開かれた塊を作ってみる。
とはいうものの、まず、作るよりも探してみることを優先すべきだった。例えば、粘土槽の中の積み重なっている粘土塊から、多様なイメージを感じさせるものを選ぶ。その段階が無かったので、多くの参加者は、まず自分なりのイメージを決めて、それを作り込んでいった。
午前中、制作した塊を全員で見て回り、作者の意図を聞かずに感じとったイメージを言い合ってみる。参加者から具体的な物の名前や情景説明的な単語が多く出されたが、その造形物を抽象造形としてみれば、イメージが展開する方向性も変化する。
他者から提起された、思いもよらないイメージをもとにして、塊を変形し強化する。作るイメージが強固になればなるほど、その説明だけが表面化してしまう。結果として、イメージの多様性を持つことからは離れたものが多くなった。
塊が、単なる物質から、何かに見えるマジカルな一瞬を意識することは、自分が作っているイメージが当然のものとする制作過程の中では難しい。まして、自分にとって思いもかけないイメージが出現する場合、意識することの難易度は上がる。塊を使った制作でも、分割、切断、接着、反転などの手段をとって、イメージの思いを断ち切って、粘土を変形する自分の作業を自分で新鮮にみることの積み重ねとして制作していく。達成感は薄いかもしれないが、刻々と移り変わる塊の状態を、思わぬイメージ変化の過程としてみるときに、その一瞬を発見できるかもしれないことを話した。
今年度は、2回、粘土を使うワークショップをおこなったが、完成する喜びとは違った、粘土をこね、つくっていくことには原始的とでもいえそうな快感があって、その、可塑性を生かした行為への没入は共通して楽しい体験となっていた。
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