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【概要】
大きな独立丘陵から南に張り出した標高15~20mの段丘上の南側緩斜面に立地する。丘陵の南・北には鳴瀬川・江合川が流れ、大崎平野が広がっている。縄文時代早期~中期と、古墳時代~平安時代の集落跡が複合している遺跡である。昭和40年と49、50年に発掘調査が行われた。縄文時代の集落は東西490m、南北120mの範囲であり、中期の竪穴住居跡、早期~前期の貝層が検出されている。貝層は径15mと小規模で、カキ・ハマグリを主体としている。鹹水産貝塚としては、鳴瀬川流域で最も内陸部に位置している。
本遺跡では、さらに古墳時代前期の集落跡とその前面を区画する大溝が発見されている。大溝は集落を防御するための施設とみられ、内部にこの地域の首長クラスの住居があったのではないかと推定され、一般集落とはやや異なるものと考えられている。大溝内から木製の鋤先・砧・突き棒、竹製の笊・籠などが出土している。
【関連史跡】
【基本情報】
指定年月日 | 1976年6月7日 |
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所在地 | 美里町北浦字山前・新山前ほか |
見学 | 自由 |
アクセス | (鉄道)東北本線小牛田駅から徒歩20分 |
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