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牡鹿の郡家(ぐうけ:郡の役所)あるいは『続日本紀』天平9年4月条にみえる「牡鹿柵」と考えられる赤井官衙遺跡と,その南西に位置する役人などの墓域の矢本横穴墓群からなる。
赤井官衙遺跡では、7世紀中葉頃に関東地方からの移民によって溝と塀で囲まれた大規模な集落が営まれる。官衙として整備されるのは7世紀末頃で、官衙は倉庫院と居宅と考えられる2つの区画から構成されている。移民を中心とした集落の形成と、それにもとづいた官衙、ないしは城柵の造営という変遷をたどれる遺跡であり、7世紀中葉から8世紀にかけての律令国家成立期の東北地方の経営を考える上で重要である。
矢本横穴は、丘陵東向き斜面の中腹に、約1.5kmにわたって営まれた横穴墓群(よこあなぼぐん)である。これまで113基の横穴墓が発見されており、赤井官衙遺跡に移民の集落ができたころから官衙が廃絶したころまで墓域として使われたことが判明している。横穴墓の形態は、千葉県の東上総地域に特有の「高壇式横穴墓(こうだんしきよこあなぼ)」に類似ししたものが多い。金銅装圭頭大刀(こんどうそうけいとうたち)、革帯(かたい)、「大舎人(おおとねり)」と墨書された須恵器などの遺物が出土しており、牡鹿郡家ないしは牡鹿柵に勤めた役人などの墓域と考えられる。
指定年月日 | 令和3年3月26日 |
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所在地 | 東松島市赤井字星場 |
見学 | 自由 |
アクセス |
(赤井官衙遺跡群)JR仙石線東矢本駅より徒歩45分(3.6km) (矢本横穴)JR仙石線鹿妻駅より徒歩13分(1.0km) |
(写真提供:東松島市教育委員会)
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