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伊治城は,神護景雲元年(767)に律令政府が東北統治の拠点の一つとして設置した城柵で,現在の栗原市築館城生野に所在する。本資料は,伊治城跡SI491竪穴建物跡床面から出土した古代武器・弩の発射装置「機」である。
弩は弓と機を臂に取り付けた構造であり,このうち機は「牙(が)」「望山(ぼうざん)」「懸刀(けんとう)」「牛(ぎゅう)」「郭(かく)」「栓塞(せんそく)」の各部からなる。本資料は,それら各部を留めるピンの一部の欠損を除くと完形である。大きさから兵士の携行用とみられ,8世紀後半の律令政府の最前線拠点だった伊治城に所属する弩手の武器と考えられる。
本資料以外の国内出土の弩はすべて臂で,祭祀用木製具と元寇の際に元軍が使用したものに限られる。発見から約20年が経過した現在においても,国内で出土した弩機としては,本資料が初例かつ唯一であり,文献でのみ知られていた弩の存在を証明し,中国出土の弩機と構造が共通した実戦用の武器であることを示したものとして,学術的並びに歴史的価値が高い。
(指定年月日)令和2年(2020年)2月14日
(大きさ)長軸70ミリメートル・短軸45ミリメートル・高さ53ミリメートル
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