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柳生心眼流は江戸時代初期仙台藩の竹永隼人を始祖としており、同人が柳生但馬守に師事して奥義を究め、柳生を冠することを許されたとされている。登米郡新田地方に同流がもたらされたのは、江戸時代後期とされ、本格的に広めたのは仙台藩校養賢堂の星貞吉である。
同兵法には、剣術、棒術、甲冑術、甲冑柔術その他がある。甲冑術は剣の形、鎧通しの形、陣鎌の形など21形があり、甲冑柔術は表の形、極の形、落しの形など28形から成っている。
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