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【概要】
大崎平野の北部、旧田尻町の北西部にあたる丘陵の南斜面に立地している。現在まで3地点が確認され、そのうち北端の1地点が史跡に指定されている。
昭和33、49年に発掘調査が行われ、8世紀前半に多賀城創建時の瓦を焼成した窯跡であることが判明した。構造はいずれも地下式の窖窯であり、軒丸瓦・軒平瓦・平瓦・丸瓦・鬼板などが出土している。瓦当文様は軒丸瓦が重弁蓮花文、軒平瓦が手描重弧文と呼ばれるものである。平瓦は桶巻き四枚割、丸瓦は紐巻造りである。
また、表面採集ながら「□郡仲村郷他辺里長 二百長丈部呰人」と箆書きされた多賀城創建時の平瓦が見つかっている。多賀城創建のころ、多賀城から40kmほど離れたこの大崎平野に、律令政府による郷里制および軍団制がすでに施行されていたことを示す、極めて興味深い資料である。
【関連史跡】
【基本情報】
指定年月日 | 1976年3月16日 |
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所在地 | 大崎市田尻沼部字的場北沢 |
見学 | 自由 |
アクセス | 東北道古川ICから20分 (鉄道)東北本線田尻駅から車で10分 |
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