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【概要】
玉造・加美丘陵の先端部に立地している。標高は40m、南に広がる鳴瀬川流域平野との比高は10mほどである。昭和30年に、本遺跡の東1kmに所在する菜切谷廃寺跡の発掘調査が行われた際に発見された。昭和52年から発掘調査が続けられており、8世紀前半に築かれた城柵跡であることが判明している。遺跡の規模は東西350m、南北370mと、東北の城柵としては最も小さい。周囲に大溝を伴う築地がめぐり、北辺の中央に掘立式の八脚門がある。内部から掘立柱建物跡、倉庫、竪穴住居跡などが発見されており、多賀城の創建と同様に8世紀前半の創建と推定されているが、いまだ政庁は発見されていない。
本遺跡の性格については、これまで「玉造柵」や「色麻柵」などに比定する考えが示されてきたが、定説にはいたっていない。
【関連史跡】
指定年月日 | 1979年5月18日 |
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所在地 | 加美郡加美町城生字館の内ほか |
見学 | 自由 |
アクセス | (車)東北道古川ICから15分 (鉄道)陸羽東線西古川駅から車で7分 |
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