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主屋は北面して建てられており、桁行7.5間、梁行4間で土台のない石場建。屋根は寄棟造茅葺で、裏手に櫛形の煙出しを付ける。外壁は、座敷回りが真壁造、台所回りが大壁造である。上手の前面に「なかま」と呼ぶ正座敷、その裏側に「なんど」、これら2室の下手には広い1室構成の「ちゃのま」(おかみ)を配した「広間型三間取り」の極めて簡素な間取りである。「なかま」の奥に「床の間」を、表側に「平書院」を付け、悼縁天井を張るが、他の室には天井がない。「なかま」のみ畳敷であるが、「なんど」と「ちゃのま」は板敷で、台所は土間である。建築年代は、平成4年の解体時に柱の端に「享保15年(1730)2月12日」の墨書が発見され、江戸時代中期の建築であることが判明した。この種の中級侍住宅遺構としては、現在、県下において最古の部類に属するものである。また、農民住宅を素地として次第に武士住宅として体裁を整えてくる過渡的形態を示す貴重な遺構である。
指定年月日:平成5年12月24日
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