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木造、床敷、屋根は切妻、本瓦葺2階建の親倉と同じ構造で、平屋建の子倉が接続した親子倉の形式をとる。仙台藩『御修覆帳』によると、城内二の丸勘定所の金倉に、これに類するものが見られるところから、同系のものと考えられる。
明治初年に、岩切洞の口の大宮家が払下げを受けて自邸に移築したものを、昭和3年に日野氏がこれを買受け、現在地に再移築して穀倉として利用してきた。江戸時代後期を降らない建築で、再建の際鉋を入れ直しているが、仙台城関係の数少ない遺構の一つとして貴重である。
指定年月日:昭和53年5月2日
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