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寄木造の膝上で定印を結んだ坐像で、眼は彫り出している。漆箔で、螺髪は刻み出しで、平安末期の手法だが、鎌倉初期の作風を示す。小さいがよくまとまっている。運慶の長男湛慶作であると伝わるように、中央の仏師の手になることを十分にうかがうことができる。文明年中に、目黒源兵衛国平の子資平が、父の墓のあとに堂を建てて安置した像という。
(寄木造 像高50cm 鎌倉時代)
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