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自然石で、高さ102cm、中央に梵字一字を刻し、その下に「正安二年庚子閏七月十五日右為四十八日間踊念仏結衆等五十余人結□敬所奉造立也所志各々聖霊成仏法楽等也」とある。意味は、50余人の人びとが48日間踊り念仏を行じた、というようなことである。時宗の開祖である一遍上人は、踊り念仏をもって浄土教の庶民化に尽くした。一遍は弘安3年(1280)奥州に入り、祖父河野通信の墓を江刺郡にたずね、さらに平泉・松島にも遊行した。碑のある南方町も当然大きな影響を受けたものと考えられる。一遍による浄土教普及のようすが具体的に知られるきわめて貴重な碑である。
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