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京都嵯峨の清涼寺釈迦像は、東大寺僧�公然が宋に渡り、印度伝来の像を仏師兄弟に模刻させたもので、その模像は、平安時代末から始まり鎌倉時代に盛んに作られている。この像は、もと栗原郡金成の福王寺にあったものを、仙台藩�公4代藩主伊達綱村が龍宝寺に納めたもので、東北にもたらされた清涼寺式釈迦像の北限にあたると思われる。
この仏像には、京三条の金売吉次、吉内、吉兀3兄弟の母が清水の観音さまのお告ではるばる東国に下り、藤太とめぐり会って砂金掘に成功し、長者屋敷を建てた時の仏心から福王寺に祀ったものという伝えもある。
(ヒノキ材寄木造 像高160.3cm 鎌倉時代)
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