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本神社は初め羽黒飛龍権現と称したが、保安4年(1123)に名取の老女が、紀州熊野三社を移し、那智山権現と号したという。この懸仏は、明治31年7月25日参道の整備工事に際して社殿を後方に移す作業中、幣殿の床下から杉の皮に包まれて160余面が発見された。一社でこのように多数残っているのは他に数例しかない。また、銘文から正元~建治(1259~1277)の頃に奉納されたものが多く、懸仏の歴史の上から貴重である。
なお、160余面のうち、懸仏37面、銅鏡4面が重要文化財に指定されており、残りのうち122面は宮城県指定有形文化財となっている。
(平安~鎌倉時代)
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