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国の文化審議会は,平成29年3月10日に開催された同審議会文化財分科会の審議・議決を経て,金華山灯台(石巻市)と佐藤家住宅(大河原町)を登録有形文化財として登録するよう文部科学大臣に答申しました。この結果,この答申を受けて行われる官報告示を経て,県内では131件の建造物が文化財に登録されることとなります。
牡鹿半島沖の金華山に建つ石造円形灯台で,明治初期に日本各地の灯台建設を指導したリチャード・ヘンリー・ブラントンの設計によるものです。
灯塔(とうとう)は花崗岩(かこうがん)の布積(ぬのづみ)とし,上部に青銅製灯室(せいどうせいとうしつ)とドーム型鋼製灯籠(こうせいとうろう)を置き,半円形の付属舎が付く。明治9年の建築で,石造の灯台としては東北地方で最古。
佐藤家は,呉服商や醤油醸造業を営み,明治以降は町議員や郵便局長を歴任するなど,地域振興に貢献しました。
屋敷は,旧奥州街道に西面して敷地を構え,街道に面して延命蔵(えんめいぐら)と店蔵(たなぐら)が並びます。店蔵の南には表門(おもてもん)を開き,外塀(そとべい)で屋敷を画します。店蔵の裏には主屋(しゅおく)が接続し,主屋北東には新座敷(しんざしき)が置かれます。屋敷東端には,五行稲荷社(ごぎょういなりしゃ)と神宮小祠(じんぐうしょうし)(旧奉安殿(きゅうほうあんでん))を祀り,鳥居(とりい)で区域を画します。このほか,主屋周囲に内塀(うちべい)と井戸屋(いどや)を配しています。
佐藤家住宅は,屋敷規模が大きく,また各建物もよく保存されています。宮城県の近代和風建築の代表的な遺例の一つです。
中庭を囲い,西に接客用,北に居住用諸室を配し,東に食堂や調理室等をまとめる。和室を中心としながら,娯楽室と寝室は洋間とし,また細部には洋風意匠を巧みに取り込む。部屋数30を超える,大規模な近代和風建築である。昭和14年頃に建築された。
【写真提供:大河原町教育委員会】
内部は15畳と10畳の座敷を並べ,西端に茶室を設ける。15畳間では矩折(かなお)れとなる特徴的な床構(とこがま)えを見せる。明治34年頃に建築され,昭和11年に現在の場所に移築された。
土蔵造(どぞうづくり)の外壁は漆喰塗(しっくいぬり)と海鼠壁(なまこかべ)を塗り分け,軒も海鼠仕上(しあげ)を廻し,街道沿いの景観を形作る。明治19年の建築で,平成23年に改修された。
大規模2階建土蔵。内部の階段は踊り場を持つT字型で,特徴ある空間を創出する。昭和14年頃の建築で,平成23年に改修された。
表門は,太い柱や冠木(かぶき)に対して,軒廻りは繊細にまとめる。外塀とともに街道沿いの景観に寄与する。昭和14年頃の建築。
主屋と新座敷の内庭(うちにわ)を区画する。主屋内側では竹を張り詰めるなど,意匠を凝らす。昭和14年頃の建築。
【写真提供:大河原町教育委員会】
木製井筒(いづつ)の井戸の上に架かる。三方吹放(ふきはな)ちとし,西面は格子細工(こうしざいく)を施す。数寄屋風(すきやふう)意匠で敷地景観に趣を添える。昭和14年頃の建築。
四方に格子を建て込み,内部に厨(ず)子(し)を置く。彫刻を豊かに施し,細部意匠を凝らす。明治34年の建築。
もとは佐藤家が昭和前期に裁判所に奉安殿として寄付したもので,昭和20年代に現在地に移した。小規模ながら,神明(造(しんめいづくり)の特徴をよく備える。
五行稲荷社と神宮小祠の境内の西南に立つ,石造(せきぞう)の神明鳥居(しんめいとりい)。昭和前期の建築。
【写真提供:大河原町教育委員会】
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