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兵糧館は、昔の山城跡です。北側が大きな崖となっていて、南側は広く開け円田地域の水田が良く見えます。南側には堀が幾重にも掘られて下からの攻めを防ぐような感じになっています。兵糧館の頂上に由来を説明する看板があります。それによると、「兵糧」は城主であった横尾兵衛(よこおひょうえ)の名前がなまったものとされています。この城が文献に現れるのは延宝年(1673)の「仙台古城書上」だそうです。その後、安永元年(1772)の「封内風土記」には「兵粮館」と記述され志津摩信濃守の居城とされていましたが、どんな働きをしていたかは不明です。別の説では、古代アイヌの「チャシ」(チャシは砦、館、柵を意味します。)で丘陵部の平場ではアイヌの宗教的な祭祀や集会があった場所でなかったかという話もあります。
地元の人に聞くと、古い戦いの言い伝えがほとんどなく、この城はたぶん一度も合戦に使われなかったのではないだろうかとのことでした。唯一地元の伝わる話としてここの姫様が金の猫を抱いて池に身を投げたという話があり、その池だといわれる辺りを掘削したそうですが、なにもでなかったそうです。
兵糧館のてっぺんまではおよそ15分かかります。車でも登ることができますが、ここはぜひ途中の景色を楽しみながら,歩いて登ってみてください。
いかにも城跡といった雰囲気です
周りには堀が巡らされています
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