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熊野神社が建立されたのは、地元の古い記録によると神亀年間(724~728年頃で今から約1300年前)といわれています。その後の言い伝えによると伊達の殿様の家来に「福地」という名前の家来がいて、その家の守り神(一門氏神といいます)として祭られていたようです。明治維新頃には、小村崎村の守り神(村氏神といいます)としてあがめられるようになり、今でも大切にされています。現在の建物は、昭和61年に立て直したものです。
熊野とは、和歌山県東、西牟婁(にしむろ)郡、東牟婁郡そして三重県南、北牟婁郡のことを言います。山深い地域で古くから山岳信仰が盛んな地域でした。仏教渡来後、その険しい山容が僧徒、修行者たちを招いて仏の地域の様相を呈し、平安時代になって積極的に神仏習合を取り入れて熊野三山(熊野速玉(はやたま)神社、熊野坐(にます)神社、熊野那智神社)の構成をとり、特異の霊地として広く敬われ、修験道の中心地となり、院政期の法皇、上皇の御幸によってそれは決定的なものとなりました。
熊野山伏が全国に散り、霊験の宣伝や道案内を努め、多くの人が「熊野詣」を行いました。その姿は蟻が隊列をなして歩く様子と似ていたことから、「蟻の熊野詣」と言われるほどでした。現在、熊野神社は全国に数千社あると言われ、小村崎の熊野神社もその一つです。
社の隣には大きなイチョウの木があります
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