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根無藤の交差点を役場方面側から写す
(止まれの看板の後ろの杉林付近が根無藤)
農道沿いの一戦場首塚から農道を下ってちょうど蔵王町円田方面(右)と遠刈田方面(左、これが農道の続きとなります。)、蔵王町役場方面(まっすぐ)の交差点がある手前当たりの地名が「根無藤」です。まさに読んで字のごとく「根っこのない藤」が由来となっています。
前九年の役(1051)の時、劣勢に立たされた安倍一族が戦の陣を引き払うときに棟梁の安倍貞任(?~1062)がイチョウの木のもとに馬を打つためのフジの鞭を挿していったところ、そのフジが根付いてイチョウに絡みながら大木となったという伝説に基づくものです。一説には追いかける源頼義(988~1075源義家の父)が挿したという説もあります。現在は、そのようなイチョウもフジも見つけることはできません。地名だけが残ったようです。
この「イチョウ」や「フジ」の源頼義・義家に関する伝説は、各地にあります。川崎町には、源義家が休憩時に挿した鞭が根付いて大きくなったという「逆銀杏」(県天然記念物)があります。東京都台東区浅草の銀杏岡八幡神社の起源には、隅田川を流れてきたイチョウの枝を挿して「朝敵退治のあかつきには枝葉栄ふべし」と祈願し奥州征伐に出かけ、戻ってきたらその枝が根付いていたという話があります。ずっと時代が下った話では源実朝が殺される時、公暁が隠れていたのは鶴ヶ岡八幡宮(1063年源頼義が創建、1180年源頼朝が現在地に移築)参道の大銀杏の陰でした。イチョウと源氏は因縁めいた話が多いみたいですね。また、フジの話では、村田町の白鳥神社にある「奥州の蛇藤」の話が有名で、源頼義・義家が村田で安倍一族の軍勢に囲まれた時、藤の木が2匹の大蛇となって敵を追い払ったといわれています。
これら源頼義・義家の話は、大半は源氏側にとって良い話ばかりで、安倍氏側に不利な話ばかりです。まさに勝てば官軍なのでしょう。最近は、高橋克彦氏の「炎立つ」に代表される侵略される東北側の視点で描かれた小説や歴史研究が進んでいますから、今後東北の歴史認識がどう変わっていくのか?注目していきたいですね。
ちなみに野生のフジは繁殖力が強く、実生、挿し木、根茎なんでも殖やすことができるそうですし、イチョウは、実生で殖やすのが一般的ですが、挿し木で殖やせないこともないそうで、これらの話はあながち虚構ということではないようです。
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