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迫川及び旧迫川は北上川水系旧北上川の支川で,その流域面積はあわせて1,210平方キロメートル(迫川913平方キロメートル,旧迫川297平方キロメートル)で宮城県の総面積の約16%を占めている。
この流域内の市町村数は4市1町(岩手県一関市を含む)で,流域の30%が農地として利用されており,水田面積も県全体の約1/4にあたり,県下有数の穀倉地帯となっている。また,流域の約34%が氾濫区域であり,この氾濫区域内に流域内資産の約60%が集中している。
”迫”は”峡”,即ち山の間を意味することもあり,また,この地方が奈良平安初期の時代まで長く王朝と蝦夷勢力との接触の狭間,つまり境界線でもあったといわれる。
古くは花山川,輝(照)井川,阿栗川,阿久根川,一迫川と呼ばれていた迫川は,宮城,岩手,秋田の三県境にそびえ立つ奥羽山脈の峻峰栗駒山(標高1,627m)の南麓に三つの峡谷を開き,この峡谷を流下している,迫川,二迫川,三迫川の三河川からなっている。(迫川は昭和40年3月31日までは大林地区の三川合流地点から下流をいい,それより上流の河川を一迫川,二迫川,三迫川と呼んでいたが昭和40年4月1日に一迫川と重複で呼び,昭和42年政令75号で一迫川を含む形で迫川となった。)
旧迫川は小山田川として,大崎市岩出山上一栗名生法山に源を発し,東流して栗原市高清水で透川,善光寺川,栗原市瀬峰北谷地で瀬峰川と合流して蕪栗沼に入るほか,萱刈川が直接蕪栗沼に合流している。
蕪栗沼を流下し登米市米山町三ッ口で旧迫川と合流して,旧迫川となり,遠田郡涌谷町箟岳字大谷地で旧北上川に注いでいる。流路延長約95kmの迫川及び約80km(小山田川含む)の旧迫川は,平時は当地方の生活及び農業用水として豊富な水を供給しているが,中流部及び下流部は極めて低平地帯のため,ひとたび洪水があると,沿川は莫大な被害を受ける水害常襲地帯であり,宮城県屈指の難治河川と言われている。
迫川の改修は,昭和7年から昭和14年にかけて剣先から山吉田間の捷水路工事が完成し,大蛇行していた迫川本川の流路延長31.5kmが12.5kmに短縮され,沿川一帯の低湿地の洪水防禦が行われた。
昭和15年に中小河川改修事業の採択を受け上流に向け改修を進めたが,昭和22年9月キャスリーン台風,昭和23年9月アイオン台風,昭和25年8月熱帯低気圧と相次ぐ大洪水により,沿川一帯は壊滅的な被害をうけた。
このため,上流部に花山・栗駒・荒砥沢・小田ダム等のダム群,中流部に長沼ダム,南谷地遊水地(合計で10ダム1遊水地)を配した総合的な治水計画をたてて改修を促進している。
現在,上流迫川右岸堤防は国道4号(留場橋),三迫岸堤防は旧国道4号(達田橋)まで堤防が概成している。
中流・下流においては,若柳狭さく部の拡幅との関連で実施した若柳町都市計画街路(石越駅四ッ谷線)は平成7年度に完了し,佐沼狭さく部の堤防整備工事も平成11年に完了している。米山地区については防災ステーション工事等を進めている。
一方,旧迫川は前述の捷水路工事による迫川の旧河道で,その主流は小山田川である。中流部に蕪栗沼遊水地を配した治水計画(蕪栗沼遊水地事業として昭和45年に大規模工事として採択)のもとの改修は,沿川の洪水防禦を担う。
荒川は,栗原市一迫・築館付近の丘陵地標高約90mにその源を発し,伊豆沼を経由し登米市迫町佐沼で迫川に合流している河川である。
荒川地域は低平な水田地帯で迫川の背水の影響を直接的に受ける内水地域であり,近年では昭和55年,昭和56年の長雨で湛水被害が発生している。また,この地域では長沼ダム建設やほ場整備事業が進められており,こうした地域の変化に対応すべく昭和60年度に改修に着手した。
この改修は一部分長沼ダム建設事業の関連で水特法(昭和60年3月1日発総理府告示第6号により水源地域対策特別措置法第3条第1項の長沼ダム周辺の整備計画に含まれる)の適用を受けており,現在まで,昭和63年度に飯土井水門,平成3年度に大和田サイフォン,平成5年度に荒川サイフォン,平成8年度に仮屋水門が完成となり,河積拡幅のための堤防整備を行っている。
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