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新田東遺跡は県北の沿岸部統治のために置かれた桃生城(ものうじょう)の東側に隣接しています。ここでは、桃生城と同じ時代の竪穴住居跡と掘立柱建物跡が多数見つかりました。住居跡には火災で焼けたものもあります。桃生城が774年に蝦夷(えみし)の攻撃によって焼失しているので、その際に焼失したのかもしれません。この集落の発見は桃生城に関わった人々のことを考える上で大きな意義があります。
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