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桃生城跡は律令政府が蝦夷支配のために築いた城柵の一つです。政庁跡の西側の丘陵で、城内最大の6間×2間の建物跡が発見されました。この建物は床張りで、雨落ち溝が巡る格の高いものですが、774年に反乱を起こした蝦夷の攻撃により焼失しました。付近の住居からは「主政」と墨で書れた土器が出土しています。
協力:多賀城跡調査研究所
政庁跡の西側の丘陵と調査区 | 「主政」と書かれた土器 |
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