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荻浜港は、古くからの漁村であったが、明治維新後の海運業の発達に伴い明治14年汽船の定期航路が開設され、鉄道がなかった当時の東北地方において船舶が輻輳し、県内最大の港として賑わいをみせた。
しかしながら、明治23年に東北本線が開通すると乗客は減少し、主として木材、スレート、魚介海産物の集積地となった。
明治44年になり、金華山沖を漁場とする捕鯨基地として一時活況を取り戻したが、捕鯨会社の鮎川港への事業場移転、汽船寄港の廃止そして海運省の貯炭庫廃止が続き、湾勢は衰微した。
現在は、主として小型漁船の出入と船舶避難用に利用されており、荻浜地区と小積地区において防波堤や物揚場等が整備された。
なお近隣の月の浦浜は、慶長18年(1613年)藩主伊達政宗の命を受けた家臣支倉常長ら一行が、一路ローマを目指しサン・ファン・バウティスタ号で出帆した歴史的な場所である。
東日本大震災の大地震及び大津波により港湾施設が甚大な被害を受けたが、災害復旧工事は令和3年度末までにすべて完了した。
物揚場 | 延長 | 水深 |
---|---|---|
突堤物揚場 | 23m | 1.0m |
荻浜物揚場(3) | 70m | 2.0m |
荻浜物揚場(2) | 57m | 2.0m |
荻浜物揚場(1) | 273m | 1.5m |
荻浜船揚場 | 80m | |
小積物揚場 | 100m | 1.5m |
小積船揚場 | 30m |
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