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船岡用水の「船岡」の由来は,藩政時代にまで遡ります。
伊達政宗の時代に,船(舟)岡と改められたそうで,政宗の息子である忠宗の時代になると,伊達家の公式記録である『伊達治家記録』にも船岡という記述が見られます。
船岡の前は四保(シノオ)と呼ばれていましたが,シノオは“死のお”に通じることから改められたと言われており,船岡の由来については,四保山の山容が舟のようであったからという説があります。
船岡用水路が出来る前は,六沼(大沼,赤沼,内沼,八入沼,鍋倉沼,鷺沼)を用水として利用しながら,白石川上流の内親堰(白石市)の泉口で取水する用水を耕地の灌漑に活用してきました。
明治以降は新田開発が進み,用水不足が見込まれたことから,用水路の開削計画が持ち上がりました。
明治22年(1889年),上記で計画した用水の事務処理を目的とした組合が設立され,明治23年(1890年)4月に用水の開削工事が始まり,12月に工事は竣工しました。
その後,昭和12年度~昭和14年度(1937年度~1939年度)までの3年間に渡って,県営の組合排水改良事業が施行されました。
これにより,完全な船岡用水の基盤が完成しました。
その後も幾度か事業が行われ(下記年表参照),今日に至っています。
本地区の用水は全て白石川から内親堰頭首工で自然取水しており,受益面積は297.4ha。白石市白川津田,角田市の一部,大河原町,柴田町船岡一帯のかんがい用水としての役割を果たしています。
内親堰
白石市津田地区の農地
後田の古碑群付近を流れる船岡用水(大河原町)
船岡城址付近を流れる船岡用水(柴田町)
※位置図は国土地理院提供
船岡用水の受益面積は,次のとおりです。
市町村名 | 水田 | 畑 | 計 |
---|---|---|---|
白石市 | 22.6ha | 0.0ha | 22.6ha |
大河原町 | 63.1ha | 0.0ha | 63.1ha |
柴田町,角田市 | 211.7ha | 0.0ha | 211.7ha |
計 | 297.4ha | 0.0ha | 297.4ha |
六沼(大沼,赤沼,内沼,八入沼,鍋倉沼,鷺沼)を用水として利用するとともに,白石川上流の内親堰(白石市)の泉口で取水する用水を耕地の灌漑に利用してきました。
明治維新後,新田開発が進められ,従来の用水だけでは不足するようになり,大がかりな用水の開削が計画されました。
上記で計画した用水の事務処理を目的とする,船岡村外一町組合が設立されました。
この組合は大河原町を主管とし,事務所を大河原町役場に置き,組合議員には船岡村から5名,
※大河原町から5名が選任されました。
※明治22年(1889年)の大河原町は,大河原村,小山田村,福田村,福田村,大谷村が合併したもの。
現在の大河原町は,昭和31年(1956年),大河原町と金ヶ瀬村が合併して成立したもの。
4月,用水の開削工事が着工しました。
内親の白石川に新たな堰を設け,延長約11.8km余りの用水路工事は,12月竣工しました。
これにより稲の収穫増大が期待され,用水に利用していた六沼は不要となり,大沼・赤沼の一部を残して,美田となりました。
六沼開墾地所有株主川村大三郎総代は,用水路工事費など全てを船岡村外一町組合が負担して工事を行うとともに,現用水路を全面改修するよう組合主管に誓願しました。
組合議会はこれを受けて,調査委員4名による用水路の現地調査が行われ,誓願に添って早急に具体策を講じるよう組合主管に報告し,組合主管である太田壮十郎は組合議会に対し,次のことを提案し了承されました。
これに基づいて用水路修繕のための見積もり設計が作られました。
その結果6月,工事予算7,998円36銭の7割を県が補助するよう,県と郡に対して組合主管から願い出ました。
明治33年(1900年)3月,工費査定額約7,914円55銭9厘のうち県費補助として治水堤防費3,957円28銭の交付通知がありました。
この直後,組合主管が大河原町長から船岡村長飯淵七三郎に代わり,昭和29年(1954年)に解散するまで船岡村長が主管を務め,事務を船岡村役場職員が兼務しました。
船岡村外一町組合用水路修繕工事は,組合直轄で明治33年5月着工,11月末竣工を目標に工事が進められました。
工事を始めてみると現設計では堅固な用水路が確保出来ないことから,明治34年(1901年)3月,知事へ設計の変更許可を上申しました。
工事費は7,900円余りから1万3,345円に増えました,県費補助は追加交付されなかったため,工事代金は一時借入などで支払いする事態に追い込まれました。
明治34年3月竣工,総延長1万5,030メートル(船岡用水1万2,330メートル,三名生用水2,700メートル)の,より堅牢な農業用灌漑用水路が完成しました。
昭和11年(1936年)8月,船岡村長飯淵藤三郎はこの水路の重要性から,老朽化した用水路の改修促進を村会に提案し,採択されました。
昭和12年度~14年度(1937年度~1939年度)までの三年間に渡って県営の組合排水改良事業が施行されました。
これにより,完全な船岡用水の基盤が完成しました。船岡村の支出額は三カ年度で合計119万9,839円でした。
昭和23年(1948年)9月のアイオン台風により白石川堤防が決潰し,延長180メートルが崩壊,取入井堰の延長90メートルの木工沈床が64メートルに渡って流出,そのため用水取入不能となりました。
11月から護岸工事に着手し,護岸の埋没土砂315平方メートル,延長182メートルを取り除き,決潰した堤防には河川から流入した土砂550平方メートルを盛土しました。
また護岸の崩壊箇所には延長182メートル,法長1.45メートルの空石積を施行しました。この工事は翌月25日に竣工しました(請負金75万円)。
木工沈床工事(取入井堰工事)も昭和24年(1949年)3月に着工,4月5日に竣工しました(1万4,964円)。
県営船岡町外一町一ヶ村用水改良事業(排水路の改修事業)
団体営かんがい排水事業船岡地区(船岡用水路の改修)
県営船岡地区水質障害対策事業
(用水路のパイプライン化により,用排水を完全に分離するもの)
県営かんがい排水事業船岡地区(船岡用水路の改修)
白石川沿いに広がる北白川地区の水田地帯。平成16年からソバが植えられ,開花時期には一面に清楚な白い花が咲き誇ります。
※東白石駅より北東に約1km 県道白石柴田線 内親踏切付近より北へ農道に入る。
白石川沿いに整備された大河原河川公園。冬には多くの白鳥と,雪の蔵王が出迎えてくれます。
※国道4号バイパスより仙南運転免許センター方面へ約500m南下した白石川堤防。
桜の名所として名高い白石川沿いの「一目千本桜」を残雪の蔵王を背景に楽しめる絶景スポット。
春の桜まつりには遠く県外からも多くの方々が訪れます。
※JR東北本線大河原駅の尾形橋より,白石川下流へ約1.2km。
春には桜まつりで賑わう船岡城址公園。山本周五郎の小説「樅ノ木は残った」でも有名な樅ノ木付近は,一目千本桜,白石川の流れ,そして残雪の蔵王が訪れる人の心を打つ絶景スポットです。
※JR船岡駅から西南西に約1.2km。
「太陽の村」の食事処では,休日限定で柴田町産そば粉100%を使った挽き立て,打ち立てのそばが堪能でき,自分でもそば打ち体験に挑戦できます。(要予約)
また当施設から,天気が良ければ遠く太平洋まで見渡すこともできます。
※ご利用の際は,太陽の村に直接ご確認願います。
ササニシキやひとめぼれ,宮城県奨励品種大豆ミヤギシロメなど,地元で栽培した材料から手間ひまを惜しまず,作られた特産品。
「太陽の村」では,この味噌を使った“ぜいたく味噌ラーメン”が,コクのあるスープでくせになる美味しさです。
北限のゆずの地である,柴田町。
穏やかな気候の柴田で育った,ビタミンC・ミネラルが豊富な無農薬自生柚子を原料とした,色・香り・共に素晴らしいお酒です。
少し冷やして飲むと,おいしくいただけます。
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