ここから本文です。
宮崎地域の水田は比較的高い場所に位置するため,低くを流れる鳴瀬川から取水するには,川の相当上流から取水せざるを得ませんでした。そのため,潜穴(トンネル用水路)による水路でなければ水を引くことができませんでした。
潜穴の入り口を穴頭,出口を穴尻といい,蝉堰の取り入れ口は古水戸(ふるみど)と呼ばれる所で,この付近は鳴瀬川の川幅が最も狭く「セミッ淵」とも呼ばれ,潜穴は560間(約1008m)の延長となっています。
セミッ淵にある大石
江戸時代の絵図(東北歴史博物館蔵)
潜穴の内部の測量は,中を明るくするために松明を灯して行いました。水路の高さを見るため,穴の壁面にくぼみを掘り,粘土で固定して火床(ひどこ:火を灯す箇所)を作り,油で灯を確保しました。
隧道の内部
火床跡
潜穴のところどころで崖から奥に狭間(横穴)を掘り,奥でつないで水路(潜穴)を作っていきました。平成14年の蝉堰の隧道調査では9か所の狭間と2か所の斜坑が確認され,狭間から狭間へ掘り進め真ん中で連結する方法で開削がなされていました。また,掘り間違えた穴が6か所残っているのも確認されました。奥深く掘り進めば川の水の音や石のみの音を聞きながら戻ったりしました。狭間は掘削中には土砂の運び出しや松明の煙り出し(酸欠防止)に用い,完成後は水量調節のために使用しました。
直接掘る道具は岩をくりぬいて掘り崩していくので,先ず「石のみ」と「たがね(げんのう)」で掘り崩した後,「くわ」,「すき」で搔き集め,「つちみ」で「もっこ」に移し替えて外へ運び出すという流れで土砂を運び出しました。
断面的には高さがやや腰をかがめる程度,横幅は両肘を張った程度(高さ1.3~1.7m,幅1.0~1.2m)で,狭間から上流側又は下流側に掘り進むため掘り進む方向にやや上げ勾配で進めていき,つながったところで掘り下げて勾配修正するため,その部分はやや大きめの断面になりました。
潜穴の方向や勾配を測定するため,「水定規(水平器)」,「方位器(方位磁針)」などの測量機器を使用しました。
隧道のある烏川堰(寛永年代(1624~1644)牧野大蔵盛仲の開削堰)に次いで古い堰であり,開削技術は当時として最高水準でした。
その後,隧道の陥没や鳴瀬川の河床低下があり,取水不能となり,上流側に水門,導水路を施工して現在に至っています。
お問い合わせ先
より良いウェブサイトにするためにみなさまのご意見をお聞かせください
重要なお知らせ
こちらのページも読まれています
同じカテゴリから探す