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主要地方道石巻鮎川線
新着情報
主要地方道石巻鮎川線は、石巻市の中心部である山下地区を起点とし、旧牡鹿町の鮎川を結ぶ県道です。起点から石巻市渡波地区までは国道398号と重複していますが、JR渡波駅前の交差点から東に分岐し、牡鹿半島の西側の海岸線に沿って縦断して鮎川に至ります。(渡波-鮎川間約28km)
(主)石巻鮎川線は、牡鹿半島や金華山方面への観光路線であるとともに、牡鹿半島西側に連なる浜の集落を結び、地域の生活や経済を支える道路としての役割を担っています。
金華山 |
牡鹿半島の景観 |
石巻と鮎川を結ぶ道路は、かつて「金華山道」と呼ばれ、「金華山詣」の参詣道として発展しました。
牡鹿半島の海上に浮かぶ霊島・金華山は、東奥三大霊場(出羽三山・恐山・金華山)の一つとして知られています。黄金の神、生産の神を祭る金華山は「三年続けてお詣りすれば一生お金に不自由しない」という言い伝えがあり、江戸時代以降、全国から多くの参詣者が金華山道を通り金華山詣に訪れるようになりました。
金華山道は、牡鹿半島に入るとリアス式海岸の複雑な海岸線に沿って曲がりくねっており、またいくつもの峠越えの難所を抱える道のりでした。参詣者は大変な苦労を伴いながら牡鹿半島の東端の街の鮎川に至り、ここから「一の鳥居」を経て「山鳥の渡」に移動し、船で金華山に渡りました。(現在は、鮎川港から金華山への定期船があります。)明治中期に石巻・鮎川・金華山を結ぶ定期航路が開設されると、次第に海路による参詣が増えましたが、昭和40年代からの自動車交通の進展とともに、再び金華山道を通る陸路による参詣が主流となりました。
令和4年には、「金華山詣」及び「金華山道」が日本遺産「みちのくGOLD浪漫」の構成文化財として認定され、石巻地域の重要な観光資源としてますます注目されています。
昭和29年に路線認定された「県道石巻鮎川線」は、認定当時は「金華山道」のルートとほぼ一致しており、その後の整備により一部ルートが変更されていますが、今も金華山を訪れる観光客の主要路線として利用されています。
金華山道標(起点) |
金華山黄金山神社 |
日本遺産「みちのくGOLD浪漫」認定 |
※文化庁日本遺産ポータルサイト「みちのくGOLD浪漫」の認定(外部サイトへリンク)
かつての(主)石巻鮎川線は、リアス式海岸の複雑な海岸線に沿って通っているため幅員が狭く曲がりくねっており、峠越えの山道もある交通の難所でした。また、荒天の際は、倒木や土砂崩れが発生しやすく、海岸に近い道路では高潮により冠水するなど災害に弱い道路でもありました。
昭和47年に牡鹿半島の稜線沿いに縦断するコバルトライン(一般県道牡鹿半島公園線)が開通しましたが(平成8年まで有料道路)、地域の生活を支える石巻鮎川線の整備の要請は強く、県は道路の拡幅やトンネル・橋梁によるバイパス化など順次整備を進めてきました。
平成23年の東日本大震災では牡鹿半島にも大津波が襲い、沿岸部に面した集落は壊滅的な被害を受けるともに、(主)石巻鮎川線も各地で寸断され、復旧活動の大きな支障となりました。震災からの復興に当たっては、沿岸部の集落は安全な高台へと集団移転し、(主)石巻鮎川線もそれにあわせて移転後の集落を結びかつ災害に強い「復興道路」として整備されました。
(主)石巻鮎川線の長年にわたる整備により、渡波-鮎川間の所要時間は、本格整備前の昭和60年ごろは1時間以上かかりましたが、現在は約40分にまで短縮するとともに、災害に強い道路として、地域の生活と産業を支えています。
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番号 | 供用時期 | 事業内容 |
① | 昭和63年3月 | |
② | 平成4年4月 | |
③ | 平成11年3月 | |
④ | 平成17年3月 | |
⑤ | 令和元年7月 | |
⑥ | 令和3年10月 | |
⑦ | 令和4年3月 | |
⑧ | 令和4年12月 | |
⑨ | 令和5年3月 | |
⑩ | (事業中) |
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