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掲載日:2024年1月29日

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ワークショップ活動の記録「記録が表現に変わること」

「記録が表現に変わること」

  • 日時:2022年2月13日(日曜日)午後1時~午後3時
       2022年2月19日(土曜日)午前10時~午後4時
       2022年2月20日(日曜日)午前10時~午後3時
       2022年7月10日(日曜日)午前10時~午後3時
    ※3月16日(水曜日)の福島県沖地震の影響に伴う臨時休館を受け、当初予定していた3月20日(日曜日)の回を7月10日(日曜日)に延期しました。
  • 場所:創作室2
  • 講師:小森はるか+瀬尾夏美(アートユニット)
  • 協力:本田椋(舞台俳優)
  • 担当:細萱航平(教育普及部職員)
  • 参加者数:1日目10人、2日目11人、3日目11人、4日目9人

アートユニット「小森はるか+瀬尾夏美」を講師に迎え、記録することを基にした現代アートについて考えました。「小森はるか+瀬尾夏美」は映像作家の小森はるか氏とアーティストの瀬尾夏美氏の2人によるアートユニットで、訪れた場所の風景や人々の語る言葉、彼らとの交流により生まれる出来事などを記録し、それらを伝えることについて多様な取り組みを展開しています。人々との交流の中から生まれてきた出来事を記録し、絵・ドローイング・映像・文章として発表したり、インスタレーションとして展示したりする一方、自身達でも対話の場の企画と運営を行い、人々の交流の場自体を創出するなど、その活動はモノとしての作品制作のみにとどまりません。そこでは、一人一人、それぞれに複雑な背景を抱えた人々が、対話を通してコミュニケーションをとることが大切にされ、その中で自然と様々なことに気付いたり、新たな出来事を始めたりする過程が記録されていきます。

このワークショップでは、全4回の日程の最中に、参加者それぞれが自分の気になる人物に話を聞きに行き、それを記録することにしました。そのことを前提に、講師と参加者で多くの言葉を交わしながら、人々の言葉を記録していくことや、それを伝えるかたちへとすることについて、思索と実践を試みました。

1日目 2月13日(日曜日)

全4回となるワークショップのはじめに、「小森はるか+瀬尾夏美」の活動とそれに関わる美術の取組について、美術館職員がレクチャーを行いました。特に、他者とのコミュニケーションによって生まれる関係性を重視したり、様々な社会の問題に積極的に関わろうとしたり、地域の人々の中で協働を生み出そうとしたりするような作品を中心に、その事例から歴史や考え方を概観することで、モノを提示するだけでない、過程を重視するアートの取組についてのイメージを共有しました。また、レクチャーの最後に、美術館職員が過去に行った実践を例として、これからワークショップで行っていくことを具体的に話しました。

残りの時間は、参加者同士で数名のグループをつくり、自己紹介も兼ねて互いの、今回のワークショップに参加したきっかけや、この活動を通じてやってみようと思っていること、レクチャーを通じて考えたことなどについて話をしました。最後に講師から、来週に向けて「自分が記録をとりたいと思っていること」「既にとっている記録」「既にアーカイブ化されている記録で興味のあるもの」「話を聞きたいと思っている相手」について、ある限りで構わないので考えてきてほしいと発題がありました。
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2日目 2月19日(土曜日)

2日目から、実際に自分たちでも活動に取り組み、交流の中から生まれる人々の話に耳を傾け、それを記録していく練習を行いました。

はじめに、講師自身による活動の紹介を聞きました。特に、近作の《山つなみ、雨間の語らい》(2021年)と《11歳だったわたしは》(2021年)について、どのような経緯があり、どのように活動を進め、どのようにまとめていったのかを具体的に伺い、その過程を「対象と出会い関心を持つ」「知りたい、記録したい、シェアしたいなど何かをしたくなる」「問いを立てる」「調べる(記録が始まる)」「表象する」と5つに分解して考えることにしました。これにより、これから行おうとしていることのイメージを更に具体的にしました。
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話を聞いた後、2人一組になって、「私の地元/大切な場所について」をテーマとして互いにインタビューを行いました。このとき、聴き手は「聴かせてもらったエピソードをぽつぽつと置いてみて、その上を自分の身体で歩き直してみる」ように、話し手から聞いた内容を自分の言葉で一人称として語り直すことを試みました。ただし、この活動に入る前に、導入として講師が震災後の陸前高田で出会った地元の人々についての話を聞き、会話をするときの言葉が誰のものかについて考えを深めました。これにより、会話は話し手が言葉を発することだけでなく、聴き手がいて、反応を示したり相槌をうったりすることで成立するものであり、紡がれる言葉も聴き手の反応によって変わることから、会話を話し手と聴き手の間に生まれる表現であると捉えました。この表現を捕まえるための方法として、参加者同士で実際にペアを組み、聞き手と語り手を交換しながら、それぞれの言葉を語り直す活動を行いました。それぞれの語りを5分ずつ聞き、ペアの語りを自分の言葉にするために10分ほどで原稿に起こして、それを2分ほどで語り直すという順序で行いました。

参加者は、それぞれのペアで自然と会話を始め、お互いの「地元/大切な場所」を伝えていました。バインダーに挟んだ紙にメモを取りながら、どの参加者もペアの話に丁寧に耳を傾けていました。聞いた話を原稿に起こす際には、集中した参加者がペンを動かす音だけが部屋に響き、聴き手の言葉を自分の言葉で起こし直そうとすることによる静かな緊張感に包まれていました。
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起こした原稿を各参加者に朗読してもらった際には、それぞれのエピソードに引き込まれるように聴き入る参加者の姿が印象的でした。全ての参加者がペアの話を「私」という一人称で語り直すため、ずっと東北で暮らしてきた参加者が遠く京都での思い出を語ったり、高校生の参加者が配偶者や家族と過ごした実家を解体することについて話をしたりなど、本来持ち得ない記憶を分けてもらい、それを自分の体験のように話すようなかたちになりました。そのためか、それは事実でありながら、しかし参加者は物語を聞くような柔らかな心持ちで耳を傾けていたように思われました。最後に講師が「自分のことを聞いてもらう嬉しさ」や「それを他者に他者の言葉で語ってもらう嬉しさ」について指摘していたように、それぞれが互いの話を自分の言葉として起こすことに悩んだ分だけ、それを受け止めた、受け止めてもらえたという小さな充実感を得られた時間となりました。それは、参加者がこれからそれぞれに気になる人物へ話を聞きに行く際に、話し手とどのようにコミュニケーションをとっていくかを考えるきっかけにもなりました。
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午後には他者の記録を伝えるかたちにすることについて実践を試みました。俳優の本田椋氏に、エッセイや日記の一部を朗読してもらい、他者の記録を伝える過程で「自分が表現すること」がどのように機能するのかを確かめました。

民話採訪者として活動する小野和子氏の文章から1節を、また、鎌倉時代華厳宗の高僧である明恵上人の記した夢日記から3編を、その特徴に合わせた朗読によって、本田氏に表現してもらいました。小野氏の文章は、各地で地元の人々に聞いた民話を記録し、その民話を聞かせてもらった時の状況までをも含めてエッセイとして書いたものでした。本田氏は、あくまでもそれを読む立場として振る舞いながら、しかし話を尋ねる小野氏や、その中に出てくる話の語り手の言葉を演じ分け、まるでそれを聞く私たちを複雑に絡んだそれぞれの時空まで連れていくかのように朗読しました。

明恵上人の夢日記を朗読する際には、現代に現れた明恵上人を演じ、参加者と対話しながら、人々を巻き込むように夢日記の内容を伝えました。本田氏が演じた明恵上人はどこか親しみやすく、参加者も終始楽しそうな様子でそれを受け止めていました。記録が他者に伝えるかたちとして表現されるとき、そこにどのような可能性が潜んでいるのかを考える時間となりました。
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本田氏による朗読を経て、参加者はそれぞれが感じたことや、それらを自分ではどのように表現するかについて考えるために、小野氏の文章の表現に挑戦したい参加者と、明恵上人の文章の表現に挑戦したい参加者で分かれ、それぞれのグループ内で感想をシェアする時間を設けました。講師や美術館職員が参加者に混ざり、議論しながら、それぞれのアイデアをかたちにすることを試みました。絵や映像など、初めからまとまったかたちでの表現に無理に落とし込もうとするのではなく、メモ書きやそれの読み上げのように、どのようなかたちでも良いのでとにかくアウトプットしてみることを念頭に置き、参加者ごとに制作を開始しました。

引き続き講師に相談し、様々な事例について話を聞く参加者や、クロッキーブックに映像のプロットを描き始める参加者、本田氏と交渉し、本田氏が演じることができるような脚本と演出を一緒に考える参加者など、それぞれのアプローチで表現方法について考え始めました。短い時間でしたが、どの参加者も瞬発的なアイデアにかたちを与えようと試行錯誤しており、表現が生まれる予感のする空間が生まれていました。最後に、翌日の予定や創作室でできることなどを確認し、2日目の活動を終えました。
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3日目 2月20日(日曜日)

3日目の午前中は、前日から続いて制作したものを展示・発表し、考えたことを共有しました。初めの数十分を使って、各自がつくってきたものの発表準備や展示を行いました。希望する展示方法や必要な展示資材については、美術館職員が主に相談に乗り、各参加者の展示場所や発表スペースを確保しました。また、準備の終わった参加者には、講師からA3のワークシートが配布され、次回までに取り組む各自の制作活動に向けてアイデアや進行手順を整理してもらいました。
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発表の準備が整ったところで、まずはパフォーマンスに類する参加者から制作したものを見せてもらいました。ある参加者は、自身の脚本と演出で編みなおした明恵上人の夢日記をつくり上げました。記録された年代に幅のある3編の日記を、朝から晩までの1日の行動に置き直したり、参加者に配られていたハンドアウトを演出の小道具に使用したりといったように、細かい演出まで指示されており、この参加者のイメージが具体的な部分まで及んでいたことをよく表していました。

別の参加者は、やはり明恵上人の夢日記に登場する亀を別の人物が見た夢であると仮定して、明恵上人の日記とリンクしつつも、別の人物の主観からなる短編を執筆しました。また、映像表現を専攻しているという参加者は、小野氏の文章から一晩で短い映像のためのプロットを書き上げてくるという熱量の高さで講師や参加者を驚かせました。

続いて、絵やドローイングなどにまとめた参加者の制作物を見せてもらいました。ある高齢の参加者は、本田氏の朗読から得たイメージを2枚のコラージュに落とし込み、軽妙なトークと合わせて参加者に紹介しました。
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別の参加者は、明恵上人の夢日記を基にした本田氏の朗読と、それを受けた参加者との掛け合いに面白さを感じ取り、その間から想像された明恵上人の人物像を、漫画のように軽快な走り描きとして記録しました。またこの参加者は、明恵上人の夢日記から連想した他の漫画作品を2冊持参し、他の参加者に紹介しました。この参加者の他にも、本田氏の朗読から感じ取った明恵上人の人物像を、自分が感じたことのメモ書きを通じて記録し、描き出そうとした人がいました。

ある若い参加者は、自分が感じたことを即興的に淡い印象のドローイングとして描き出しました。また同時に、夢日記の内容の解釈を深める一面も見せ、参加者自体が感性的なアプローチと理性的なアプローチの狭間で試行錯誤しているように見えました。

ある参加者は、映像作品を想定し、これをコピー用紙に印刷したプロットにまとめました。ただし、同じコピー用紙の印刷物の中にサウンドトラックとして書き出した詩が入っていたり、また展示方法もガラス扉にテープで貼ってあったりというように、見せ方に様々な可能性を感じさせるアプローチとなっていました。

また、小野氏の文章に登場した民話から自分の昔の姉妹げんかのことを思い出した参加者がいました。この参加者は、この姉妹げんかの子細を語ってくれたとともに、同じ内容を姉に話したときに自分が覚えていなかった別の昔話が出てきたことについても語り、話が話を呼ぶことの面白さについて指摘しました。他にも、小野氏の文章に登場した民話に興味を持ち、それを調べ、自身が撮った写真と合わせて紹介した参加者がいました。
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このように、同じ記録を基にしていても、演劇や映像のプロットを構成した参加者や、小説などの文章に落とし込んだ参加者、コラージュや絵の作品を制作した参加者、写真と文章を組み合わせた参加者など、試みは多岐にわたり、短い時間であったとは思えないほど密度のある取組が並びました。

以上のワークを踏まえ、得られた気付きや他者のアイデアを参考にしながら、各参加者はそれぞれ自分が話を聞きたいと思う人物を尋ねて話を聞き、その記録を基にして制作したものを次回に展示・発表することにしました。元々、2月実施の前半3回で、人々の言葉を記録しかたちにする方法について考え、約1か月の制作期間の間にそれを実践、最終回に制作したものを持ち寄る、という予定で進めていたため、参加者もこの制作期間に調べたいことや話を聞きたい人物について考えてきており、それぞれに計画を立てていました。そのため残り時間は、準備として講師と参加者全員が全員で話し合いを行いました。
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例えば、製本技法を用いて制作を行っている参加者は、この分野で有数の人物が宮城県内にいることを知り、その人物の人生史について知りたいと考えました。講師は、参加者が聞きたいと思っている内容(作品制作に関わることか、それともその人物の生きざまに関わることかなど)について確認をしたり、話を聞きに行くときに準備すると良いこと(下調べしておくと良い知識や心構えなど)についてアドバイスをしたりすることで、参加者が実際に話を聞きに行くときのイメージを具体化していきました。

また、自身の職場のある古いビルの解体工事が計画されていることをきっかけに、その歴史や存在自体に興味を持ち、それを調べたいと考えた参加者もいました。管理人や周囲の人々に話を聞くことを考えているという参加者に対し、講師は、活動を広げるための着眼点(壁の落書きなどの場所に刻まれた痕跡、建物を利用する人々の生活風景、建物のあると特徴に対して複数の建物利用者が同じ感覚を抱いている可能性など)やアプローチの方法(建物利用者と建物について良いと思っている点を共有できる仕掛けをつくる、場所やそこにある音などをきっかけに話を共有していくなど)を伝え、そこに関わる人々まで含めたビルの記録ができるような相談をしていました。
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この相談の時間を通じて、参加者は約1か月間の制作期間についてイメージを具体的にすることができたほか、こうした話し合いを行うことで参加者同士が互いの活動について知る機会となり、参加者間でのコミュニケーションを促進する機会となったようでした。最後に、次回までの進め方や困った際の相談方法などを確認し、1か月で各自の制作を進めることとしました。

しかし令和4年3月16日(水曜日)に発生した福島県沖地震に伴う臨時休館により、3月20日(日曜日)に予定していた最終回を、令和4年度の7月10日(日曜日)に延期して実施することとなりました。

4日目 7月10日(日曜日)

地震の影響で思いがけず期間が開くこととなりましたが、参加者は自分のペースで他者へのインタビューや制作に取り組み、結果的に以下のように密度の高いプロジェクトが集まりました。

参加者は事前に美術館職員と展示の内容についてやり取りをし、それを踏まえて美術館職員が展示資材や、創作室2と創作室ギャラリーを展示場所として用意しました。当日、参加者は講師と相談しながら各場所に展示を構成していきました。
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自身も製本を手掛けるという参加者は、県内に世界的な製本装幀家が住んでいることを知り、その人物の人生について知るためにインタビューを行いました。この人物に関わる参考資料を展示するとともに、インタビューで分かった内容について自身で製本し、参加者がそれらを自身の手元で読むことができるようにしました。

高校生の参加者は、自身が生まれ育つ女川について調査を行い、多くの絵や写真、文章を仕上げ、これを壁と展示台に広く展開しました。様々な人物に話を聞きながら、震災後の女川がどのように今の姿になってきたかを優しく詩的な筆致で描き出しました。
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ウクライナの情勢に関心のあった参加者は、満州から引き揚げてきた経験を持つという母親に話を聞き、両者に関わる自作の文章や映像資料を、雑多に置かれた紙や袋等の中に紛れ込ませるように展示しました。難しい題材を自分の母親という限りなく身近な題材と合わせることで、自然と鑑賞者が展示に入り込めるように巧みに配置されていました。

山形のオナカマ(盲目の巫女)に興味を持った参加者は、その娘である人物と交流し、娘から見たあるオナカマの姿を描き出そうとしました。娘さんへのインタビューを基に文章を書き、更にそれを娘さんに朗読してもらうという過程で、娘さんが連鎖的に思い出した母の記憶を丁寧に拾い、写真や文章、音声で内容を記録し、展示として構成しました。
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中高齢の参加者は、江戸時代から続く自身の家の女性史に焦点を当て、家の中の資料を調べたり、孫にアンケートをとったりしたものを展示へと仕立てました。並べられた机を埋め尽くす大量のモノは、しかし参加者が一つ一つ説明することができる濃密な個人史を反映しつつ、時折挟まれる参加者制作のコラージュや参加者の軽快な語り口もあって、軽やかに参加者の前に提示されました。

遠方からだったためにオンラインの参加となった参加者は、知人や家族に兄弟げんかをテーマにアンケートと聞き取りを実施し、それらを大量のモノクロドローイングへと昇華しました。内容には容赦のないものもあるにも関わらず、程よく力の抜けた描線と参加者の淡々とした説明が内容との間にシュールなギャップを生み、語りの調子も含めたパフォーマンスとして聞く人々を惹きつけていました。

演劇に関わっている参加者は、他の参加者の発表を受け、そのキーワードを抜き出し、物語をつくるというワークショップを行いました。その場で活動をつくり上げていく様子は演劇のワークショップではしばしば見られる手法ですが、ここではそれを流用することで、このワークショップでキーワードとなっていた話を聞く人と聞かれる人という関係性をメタな視点で見直しているようでした。
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都合によりこの場には参加できませんでしたが、制作期間中に自身が行った活動とともに、今回のワークショップで印象的だったことを自作のレポート漫画にまとめ、当日集まった参加者に配布した参加者もいました。出来事を明るい調子でまとめた漫画は、鑑賞者を楽しませるとともに、このワークショップで過ごした時間を思い返すかのようでもありました。

ここ数年当館で行ってきた活動の中でも、類を見ないほど参加者同士の交流が活発に行われたワークショップでした。他者に話を聞き、それを自己の表現に落とし込むという行為にはリスクも伴う一方、話を聞くことから生まれる交流は、予期しなかった展開を導くことがあります。そのような予想外の出来事までも受け入れ、対話を重ねることができたからこそ、記録と表現は成立し、また参加者同士の信頼も生まれたのだと感じられました。ワークショップ自体が人々の交流により発展していった、稀有な時間が過ごせたように思われます。

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