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掲載日:2012年9月10日

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現地説明会資料|2001河北町新田東遺跡現地説明会資料

河北町新田東遺跡

平成13年9月29日(土曜日)13時00分~ 宮城県教育委員会

調査要項
遺跡名:新田東遺跡
所在地:宮城県河北町飯野字新田
調査原因:三陸自動車道建設
調査主体:宮城県教育委員会
調査担当:宮城県教育庁文化財保護課
調査協力:桃生郡河北地区教育委員会
調査期間:平成13年4月23日~10月31日(予定)
調査面積:約8,500平方メートル

1.はじめに

新田東遺跡は、河北町飯野字新田に所在し、南東に向かって傾斜する丘陵上に立地しています。遺跡のある丘陵は、北上山地の末端部にあたる東西3.5km、南北4kmほどの独立丘陵で、東が北上川によって分断され、北・西・南が水田となっています。遺跡はこの独立丘陵の南端中央付近に位置し、東西約300m、南北約350m、約6万平方メートルの広がりをもっています。今回、三陸自動車道の建設に先だって道路の用地部分の発掘調査を実施いたしました。

新田東遺跡の西隣には、奈良時代の城柵官衙遺跡(陸奥国府・多賀城の出先機関)として有名な桃生城跡があります。『続日本紀』によれば、桃生城は天平宝字2(758)年から造営が開始され、翌3(759)年秋頃には完成し、15年後の宝亀5(774)年7月に海道(宮城県北部の海岸部)の蝦夷の攻撃によって西郭が敗られたことなどが知られています。宮城県多賀城跡調査研究所が昭和49年~今年度まで10カ年計画で調査し、遺跡の概要が次第に明らかになってきました。

新田東遺跡は、この桃生城跡の外郭東辺のすぐ東隣にあり、本遺跡のある丘陵を登って行くと、桃生城東辺の土橋状の通路部分(桃生城跡4次調査区)に到ります。遺跡の時期も桃生城と同じ奈良時代を中心としており、桃生城と密接に関連する遺跡です。

2.発見された主な遺構

これまでに検出した主な遺構は、掘立式建物跡8棟、竪穴住居跡54軒、井戸跡2基、土壙18基、溝数条などの他、遺物包含層3ヶ所です(折り込み図面参照)。これらの多くは古代のものですが、縄文時代、古墳時代の遺構が少数あります。

古代の遺構

掘立式建物跡8棟、竪穴住居跡53軒、井戸跡1基などの他、遺物包含層3ヶ所があります。

掘立式建物跡は建物1・5・7・8が桁行3間、梁行2間の小規模な建物、建物2が桁行4間、梁行2間で東廂が付くやや規模の大きい建物、建物6が桁行3間、梁行3間のやや規模の大きな建物、建物3・4が桁行2間、梁行2間の小規模な総柱建物です。これらの建物跡は、柱を建てるために掘られた掘方が方形であることなどから、古代の建物跡とみられます。また、方向はいずれもほぼ磁北を向いており、方向も揃っていることから同時期の可能性があります。このうち、建物2・7は掘方から奈良時代の土器が出土していること、奈良時代の住居より新しく、住居を人為的に埋め戻してから建てられていることから、奈良時代の可能性があります。

古代の竪穴住居跡は53軒見つかりました。出土遺物などからみて、多くは桃生城存続期(8世紀第3四半期頃)の奈良時代のものとみられます。これらの住居跡はいずれも方形で、一辺6m以上の大型のものと一辺4m程の小型のものとがあります。カマドは一辺中央に付けられているものが多いですが、小型住居の中には隅に付けられているものもあります。

奈良時代の住居跡のうち、火災にあって焼失した住居跡が6軒あります(住居6・8・9・11・22・34)。これらの火災住居跡の床面上には焼土塊がほぼ全面にあります(裏表紙参照)。これは屋根の上にのせた土が火災にあって焼け落ちたものとみられ、床面の一部が硬く焼けています。本遺跡に隣接する桃生城跡は、宝亀5(774)年7月に海道の蝦夷の攻撃によって焼失しており、その後再建されていません。本遺跡の奈良時代の焼失住居跡も、同時期に焼失したものと考えられます。

平安時代の住居跡は8軒あります(住居1・17・19・20・33・37・40・44)。このうち住居40は2度建て替えられています。住居内中央に焼け面や鍛冶炉があり、鉄滓も出土していることから、鉄製品などを生産したとみられます。また、住居20は火災にあって焼失しています。
井戸跡2は平安時代のものです。

縄文時代の遺構

縄文時代早期末頃の土器埋設遺構1基、土壙1基の他、遺物包含層1ヶ所(第2遺物包含層)があります。住居跡はみつかりませんでした。

古墳時代の遺構

塩釜式期の竪穴住居跡が1軒あります(住居16)。この住居16からは坩や甕などの土器の他、碧玉製の管玉1点が見つかっています。

3.主な出土遺物

奈良時代~平安時代の土師器、須恵器などが主に出土しました。この他、奈良時代の三重小塔(表紙参照)、紡錘車、紡錘車、砥石、鉄鏃・鉄釘・鉄斧、鉄滓、古墳時代の土師器、管玉、鏡、ガラス小玉、縄文時代の縄文土器・石器などが少数出土しました。

土師器は800℃くらいの低温で焼かれた赤褐色や黄褐色の比較的軟らかな焼き物です。ロクロを使わずに作られた古墳時代・奈良時代のものとロクロを使って作られた平安時代のものとがあります。食器の坏、高台坏、耳皿などの他、調理・貯蔵具の甕などが出土しました。

須恵器は窯の中で1000℃以上の高温で焼かれた青灰色や灰色の硬い焼き物です。ロクロを使って作られています。食器の坏、高台坏、高坏、鉢、貯蔵具の壺・甕が出土しました。
三重小塔は完形で、高さ18.3cm、底径7.8cmあります(表紙参照)。製作にはロクロが用いられ、内部は底面より刳り抜かれ、中空です。屋根は円形で3層あり、瓦は表現されていません。軸部の初層には縦に長い長方形の透かしが4ヶ所あけられており、出入り口の扉を表現したものとみられます。相輪部は宝珠のみ表現され、表現が簡略化されています。焼きは須恵質です。

これと大きさ・形態・製作技法が類似する木製品に百万塔があります(裏表紙参照)。百万塔は天平宝字8(764)年9月の恵美押勝(藤原仲麻呂)の乱直後に、称徳天皇の発願で乱関係者の供養のために製作が開始され、宝亀元(770)年4月に完成し、法隆寺など南都十大寺に十万基ずつ納められました。塔心部の上部が刳り抜かれ、中に世界最古の印刷物として著名な陀羅尼経が納められています。45,700基程が法隆寺に現存しています。

今回出土した三重小塔は百万塔を模倣したものとみられ、百万塔を見たことのある人物、あるいはその製作に関わった人物が特注した特殊な製品とみられます。これと同じ焼き物はこれまで国内で見つかっていません。きわめて珍しく貴重な遺物といえます。これは人為的に埋め戻された住居24の埋土から出土したもので、共に出土した土器からみて、桃生城存続期(8世紀第3四半期頃)の奈良時代のものとみられます。

鏡は古墳時代前期(4世紀代)に列島内で製作された珠文鏡(復元図参照)と呼ばれるものです。これまで県内で見つかっていません。銅製で、錆が進行して遺存状態はかなり悪く、保存処理と復元作業を行っている最中です。大きさは直径約7cmで、約3/4残存しています。この鏡が出土した住居21は人為的に埋め戻されています。時期は出土土器からみて桃生城存続期(8世紀第3四半期頃)のものです。鏡は作られてから少なくとも300年たってから埋められています。このような例は全国的にみてきわめて少なく、貴重です。

4.まとめ

  • (1)桃生城存続期(8世紀第3四半期頃)の奈良時代を中心とする大規模な集落を検出しました。最近行った丘陵裾部の試掘調査でも住居跡を検出したことから、集落の規模は調査した約8500平方メートルをはるかに越えるもので、桃生城の外郭東辺の東に広がる東西約300m、南北約350m、約6万平方メートルの丘陵上全体に及ぶと推定されます。
    この集落は、桃生城に隣接する比較的傾斜のある丘陵上に立地し、桃生城と同じ時期に住居が急増していることから、桃生城の造営・維持に携わった人々〔柵戸(陸奥国・東国からの移民)や鎮兵(東国から徴発された常駐兵)〕の集落として位置付けられます。
    桃生城の時期の集落は、竪穴住居と掘立式建物から構成されていると考えられます。この集落のうち住居6軒が焼失しており、この火災は桃生城廃絶の宝亀5(774)年7月の火災と関連すると考えられます。以後、集落の住居数は激減し、10世紀以降は集落として使われなくなります。
    桃生城の造営・維持に携わった人々〔柵戸(陸奥国・東国からの移民)や鎮兵(東国から徴発された常駐兵)〕の集落が桃生城に隣接する丘陵上に見つかったことから、桃生城周辺の丘陵上にまだ見つかっていない同時期の集落が多数存在している可能性が強まりました。城柵を支えた人々の集落が見つかったことは大きな意義があります。
  • (2)三重小塔が完形の状態で桃生城存続期(8世紀第3四半期頃)の奈良時代の竪穴住居跡より出土しました。これは法隆寺に現存する木製の百万塔を模倣したものとみられ、全国的に見てこれまで知られていない貴重なものです。
  • (3)古墳時代前期(4世紀代)の珠文鏡がガラス小玉とともに桃生城存続期(8世紀第3四半期頃)の奈良時代の竪穴住居跡から出土しました。これは作られてから少なくとも300年たってから埋められたものであり、全国的にみてかなり珍しいものです。また、珠文鏡はこれまで県内より出土していない鏡で、全国的にみると珠文鏡の分布の北限にあたります。

お問い合わせ先

文化財課埋蔵文化財第一班

宮城県仙台市青葉区本町3丁目8番1号

電話番号:022-211-3684

ファックス番号:022-211-3693

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