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中南部ニュース第3号

タイトル:中南部ニュース

タイトル:中南部ニュース(英字)

第3号 平成15年9月
宮城県中南部下水道事務所

主なメニュー

汚泥処理状況を熱心に見入る子どもたち(仙塩浄化センター)

汚泥処理状況を熱心に見入る子どもたちの写真

エアレーションタンク内で汚れを食べて活動している主な微生物

微生物パラメキウム

(パラメキウム)

微生物レパデラ

(レパデラ)

塩釜ポンプ場における硫化水素対策について

中南部ニュース第1号(H14.10)で紹介した塩釜ポンプ場の酸素注入方式による硫化水素対策工事が本年6月に竣工しました。本設備は、酸素分子と窒素分子の大きさの違いを利用した吸着分離式(PSA方式 Pressure Swing Adsorption)で空気中の酸素を取り出し(濃度90%以上)、圧送管に注入するものです。

処理フロー

注入設備の写真
注入設備
(右より空気タンク、酸素発生器、制御盤、酸素タンク)

マンホール位置図

酸素注入の効果を見るため、塩釜ポンプ場下流のマンホールで注入前後の硫化水素濃度を測定しました。

M16の測定グラフ図1

M6の測定グラフ図2

塩釜ポンプ場は、汚水量が低下する深夜に数時間のポンプ停止時間があり、酸素注入前、M16(図1)ではポンプ起動時に50~70ppm、その後20ppm前後の硫化水素が検出されていました。酸素注入を開始した5月29日以降は、ポンプ起動時に高い濃度が検出されるものの、その後は約10ppmと明らかな濃度低下が見られました。また、M6(図2)では硫化水素が検出されなくなり、酸素注入の効果が検証できました。

中南部トピックス

(1)県南浄化センター水処理5系列土木工事順調に進捗

水処理施設5系土木工事については、2月議会で承認され本契約となりました。受注業者の菱中建設(株)東北支社が来年3月末を目途に工事施工中です。深い支持地盤( L=43メートル、杭本数341本)のため、作業の工程上で困難が予想されましたが、天候に恵まれて、基礎の杭打作業は7月10日全本数の打込みが完了し、工事は順調に推移しています。現在、ウエルポイント工で排水をしながら掘削が行われ構造基礎部の杭頭処理と均しコンクリートを打設中であり、今後、水処理土木工事に合わせて、5系列に附帯する工事が下記工程で随時発注施工される予定となっています。

5系土木施工状況の写真
5系土木工事施工状況

阿武隈水処理5系列工事工程表

(2)県南浄化センター中央監視制御設備発注となる

現在の中央監視室
現在の中央監視室

処理場の中央監視制御設備は供用開始前の昭和58年に設置され、現在まで20年間(耐用年数15年)稼働してきていますが、毎年の維持管理の点検・修理は、機器の在庫不足、部品の供給停止等により部品確保に苦慮している状況であったため、水処理施設5系列の工事に合わせ、全面改築を行うことになりました。工事はNECシステム建設が9月議会の承認を経て、本契約後に受注・着手する予定となっています。

(3)阿武隈・丸森橋添架工事完成する

昨年から工事が進められていた丸森ポンプ場から館矢間までの管路増設工事(鋳鉄管路L=831メートル)が6月末に完成しました。丸森橋に添架する下水道管の鋼管工事(直径¢150ミリメートル添架延長L=156メートル)も同時に施工され、橋梁部も二条管方式(全体計画)となりました。今後は丸森町の下水道普及に伴う汚水量の増加に対しても十分対応が可能となりました。

丸森橋添架橋状況の写真
丸森橋添架橋状況

(4)大富ポンプ場バイパス管完成する

バイパス管布設状況の写真
バイパス管布設状況

年度当初より整備を進めていた「大和富谷ポンプ場バイパス管設置工事」が8月に完成しました。この施設は、既存施設である「大和町コミュニティプラント(貯水槽として利用)」とポンプ場をバイパス管でつなぎ、大雨時に汚水量が増加した場合、その一部を一時的に貯水槽に蓄えることにより、マンホールから汚水が溢れるのを防ぐことを目的としたもので、緊急的な流量調整施設として使用されます。

(5)仙塩浄化センター汚泥脱水機増設される

昨年10月に発注し、月島機械(株)市川工場(千葉県)で製作中だった高効率形遠心脱水機が8月19日に処理場に搬入され、12月初旬の完成を目途に据付中です。設備が完成すれば1台で時間当り30立方メートルの汚泥を脱水する能力を有し、既存の遠心脱水機1台とベルトプレス1台と合わせて、効率的な維持管理が行えるようになります。

脱水機搬入状況の写真
脱水機搬入状況

(6)仙塩浄化センター調整池完成する

近年、仙塩流域下水道では雨天時に流域幹線から流入する汚水量が増大する傾向にあります。この対策の一環として、昨年度から処理場内に造成していた調整池(容量5,000立方メートル)が今年6月末に完成しました。また、今年度発注の場内排水路工事が9月中に完成すると、接続点のマンホールからの溢水が減少し、既存施設の処理能力が向上します。具体的には、沈砂池ポンプ棟に入った汚水は大きなゴミと砂を取り除かれた後に分配槽へ流れ、ゲート操作によって増量分の汚水は場内排水路を通り調整池に流入し、最後に滅菌槽で消毒され放流されます。大雨時の増水対策に大いに威力を発揮するものと期待されます。

施工中の場内排水路と完成した調整池の写真
施工中の場内排水路(2-3系通路内)と完成した調整池

(7)放流委員会開催される

阿武隈川下流流域下水道処理水放流に伴う環境等に関する調査委員会(以下、放流委員会(委員長:長谷川信夫東北学院大学教授)という。)が、平成15年6月27日に開催されました。阿武隈川下流流域下水道県南浄化センターでは、処理水を岩沼市二の倉地先に放流していることから、県と閖上漁協,亘理町漁協及び仙台市漁協は、「県南浄化センター処理水放流に関する協定書及び覚書」を締結して、毎年放流委員会を開催しています。
今回の放流委員会は、「平成14年度二の倉地先海域調査の結果」について報告され、水質、底質、生物その他の各調査結果については、これまでと特に変化がないということで了承されました。なお、この調査内容については、昭和54年度から長年に亘り実施されてきた本調査のデータ解析を基に、平成13年度に調査計画の見直しが行われておりますが、そのとき新たに加えられた調査項目(硫化物)については更に詳細に調査することになりました。そして、今後も年2回の海域調査を継続していくことで了承されました。

宮城県北部にマグニチュード6.2の大地震発生

7月26日午前0時13分頃,宮城県北部を震源とする大きな地震(前震;マグニチュード『5.5』)が発生しました。同7時13分頃には前震を上回る規模の地震(本震;マグニチュード『6.2』)が発生し、県に災害対策本部が設置されました。
当事務所では前震発生直後から次々に職員が登庁し情報収集にあたり、各施設の計器による流入状況の把握及び処理場に異常が無いことを確認しました。更に、夜明けと同時に4処理場と幹線管渠の状況把握のため、パトロールによる現地の災害調査を行いました。
事務所管内の4箇所の流域下水道は地震規模の割には施設には被害が少なかったものの、最も震度の大きかった鳴瀬川流域下水道の鹿島台浄化センターでは最終沈殿池槽内掻寄機の破損、幹線マンホール部数カ所の沈下や直壁ズレ、放流口施設の一部にヒビが入るなどの被害が確認されました。
今後、被災した施設は「災害復旧事業」として国土交通省の災害査定を受けた後、早急に復旧を実施する予定です。

最終沈殿池掻寄機破損状況の写真 マンホール部直壁ズレ状況の写真

最終沈殿池掻寄機破損状況とマンホール部直壁ズレ状況

データ集

管内各流域下水道普及率の推移の図

平成14年度流域下水道見学者調べの図

上・下水道雑感

上水をつくる浄水場、下水(汚水)をきれいにする処理場。これら二つの施設は言葉では反対でも、当然水処理の過程は非常によく似ている。最終沈殿させる前処理の過程に薬品を使うか、生物によるかの違いだけである。
しかし、汚泥処理となると話が異なる。下水道施設が俄然複雑であり、遠心濃縮や消化槽、ガスタンク、そして発酵施設や焼却施設を持ち、上水道施設の「濃縮して脱水する」だけの施設とは全然内容が違う。当然流入水のSSからしても下水は上水の10倍から100倍くらいの値になる。汚泥の発生量が桁違いに多い下水道は、色々と汚泥の減量施設に工夫されているのは当然であろう。管理する立場からすると、一概には言えないが施設の複雑さや処理環境の面から上水道よりも下水道施設がずっと大変である。さらに処理する水をコントロール出来ないのも下水道の苦労するところである。
一方、上水道の苦労する点は何か、“人間の飲み水を作る”と言う精神的な負担でしょうか。消毒によって生ずる発ガン性物質のトリハロメタン等や、近年では水道原水中の感染症の原虫であるクリプトスポリジウムなどの問題がある。これらは受水者の健康に直接影響を及ぼす事なので処理する上で大変重大なことである。また、上水は処理する側の管理の失敗は絶対に許されないものである。上水と下水、どちらも管理する上で、一長一短はあるが、互いに密接なつながりを持っている。

下水道の流入量は上水道の使用量に直接関わりがあり拡張工事の計画にも影響する。何と言っても費用の面で水道料金と下水道負担金という名称の違いはあるが維持管理費が直接に地域住民から徴収され、管理の仕方により増加もし、減少もする。いわゆる企業的である。特に下水道は環境の改善・維持と言う重要な役割をもっている。このように、上水道と下水道は住民生活を向上させるという目的をもっており、二つの施設は将来とも人間にとって必要な施設である。〔阿武隈処理場 大場課長記〕

歴史余話「多賀城と伊達安芸宗重」中南部下水道事務所 技師 飯田 勝彦

伊達安芸というと、江戸期の歴史に名高い寛文事件(いわゆる伊達騒動)で主君のために殉じた“忠臣”として知られています。安芸は「伊達一門」涌谷伊達2万4千石の当主ですが、実は次男でした。当初は実兄の宗実(むねざね)が涌谷伊達家の当主だったのです。安芸は次男でしたから、当時の武家の慣習(しきたり)として他家の養子となることが義務づけられていました。
その養家先が多賀城にある天童家でした。多賀城にはその他に八幡家がありますが、この家は早くから伊達家の家臣でした。さて、安芸が養子に入った天童家は、足利将軍家に連なるという出羽(山形県)の名門でしたが、九代頼澄(よりずみ)の時、出羽の覇権を狙う山形城主の最上義光(よしあき、政宗の母の実兄)との戦いに敗れ、伊達家を頼ってきました。政宗はこれを許し多賀城の八幡その他に所領千五百石を与え、伊達家の「準一家」の家格としての名誉を与えました。
天童家ではこれを徳とし、伊達一門の重臣留守政景の次男をもって当主とし、頼重(よりしげ)と名乗らせました。この頼重に男子がなかったことから、涌谷伊達家の次男だった安芸が天童家の家督を継いだのです。これが天童頼長(よりなが)で、当年17歳でした。天童家は、伊達の家臣の中核をなす家柄だけに頼長は積極的に活躍しました。多賀城の高橋村から八幡に至る堤防や利府の加瀬沼の堤防は当時の天童頼長時代の安芸が計画したものと伝わっています。
そののち、実家の涌谷伊達家の当主・実兄宗実の死去により、頼長は実家に戻って、涌谷伊達家の当主となり、伊達安芸宗重と名乗りました。安芸は、後年「伊達騒動」で藩奉行の原田甲斐に斬られた忠臣と伝えられていますが、騒動の原因は“幼君の後見役伊達兵部宗勝の専横を幕府に訴えたため”と言われています。
ところで、騒動の原因はもうひとつあったとされています。それは、涌谷伊達家の隣に位置する同じ「伊達一門」である登米伊達家の当主伊達式部宗倫(しきぶむねのり)が領国開発を熱心に行っており、登米伊達家・涌谷伊達家が競って開発した結果、なんと領地の境界がわからなくなってしまったのです。そして、ついにこの解決は藩主の裁定に委ねることになりました。ところが、藩主の後見役の伊達兵部宗勝は、年配者の安芸ではなく若手の宗倫の方に有利に事を運ばせ、安芸には極めて少ない所領を付与しました。“このような措置について安芸はかねてから兵部に対する不満があった”というものです。余談ながら、境界紛争の土地が遠田郡・桃生郡に跨っていたので、俗に“遠桃紛争”(えんとうふんそう)と呼ばれています。
さて、天童頼長(後の伊達安芸)が手がけた堤防は、明治維新の後、加瀬・市川・八幡の三地区共有の用水壕となりました。水量が豊富なことで有名で日照りや水不足のときでも枯れることはなく田植えの時期を失することがありませんでした。人々は皆「これすなわち伊達安芸の余択である。」と称えたと言われています。(了)

伊達安芸公の坐像の写真
伊達安芸公の坐像
(涌谷町公民館提供)

中南部下水道事務所敷地内の画像うさぎ

中南部下水道事務所敷地内の画像蝶々

中南部下水道事務所敷地内で撮影

お問い合わせ先

中南部下水道事務所施設管理班

多賀城市大代六丁目4-1

電話番号:022-367-4003

ファックス番号:022-367-4004

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