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現在の県庁舎は、平成元年5月に完成しました。地上18階、地下2階建てで、高さが89.8メートルあります。雨水利用システムやソーラーシステム,空調や照明などの自動監視制御により、省資源・省エネルギーに対応した建物です。また、地方自治体では初めて本格的なLAN(構内情報通信網)を取り入れたインテリジェントビルです。
県庁正面には、花時計があり、四季ごとに花の植え替えが行なわれます。花時計は、明治100年事業のひとつとして昭和43年10月に作られたもので、現在のものは2代目となります。
旧庁舎は、昭和天皇即位記念事業として昭和4年に着工し、昭和6年9月に竣工しました。庁舎は、4階建てで高さは20.5メートルでした。工事に携わった人は、延べ82,000人といわれています。
この庁舎は、当時の湯沢知事が、群馬県庁に似せて造ったものといわれています。その後、本庁舎だけでは狭くなり、昭和27年に東庁舎、昭和37年に西庁舎、昭和40年に北庁舎を増築しました。
「昭和の県庁」として親しまれましたが、老朽化と地震による被害などがあり、昭和61年に解体されました。
頂塔は、そのままの形で保存され、現在は県庁正面の花時計の隣で県庁舎を見守っています。
最初の県庁舎には仙台藩校(学問所)が使われました。仙台藩校は、1736年に仙台城内に創設されました。その後、1760年に現在の県庁の敷地内に移され「養賢堂(ようけんどう)」と呼ばれました。「養賢堂」は、明治4年「仙台県庁」となり、翌年明治5年には「宮城県庁」と改称されました。養賢堂の正門は、泰心院(仙台市若林区)に移され、今なおその姿を残しています。これが、最初の宮城県庁です。
この「宮城県庁門前図」は、明治14年(1881年)宮城県庁の依頼で製作されました。門は、新しい洋風の門となっており、馬車に乗っているのは、県令(けんれい)松平正直ではないかといわれています。建物は、第二次世界大戦で焼失しており、歴史的にも貴重な作品です。
宮城県庁門前図(右図)
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