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(このコーナーは連載です) 宮城のサル調査会 会長 伊澤 紘生 現在、全国で農作物の被害防除を目的に捕獲(ほとんどが銃器による射殺)されるサルの数は、毎年1万頭前後にのぼっている。そして、これだけの数が捕殺されていてもなお、サルの数は年々増え続け、農作物被害は増加の一途をたどり、かつ広域化している。
そのうえ皮肉にも、農作物被害が戦後の早くから発生し、被害防除のためありとあらゆる対策が延々と講じられてきた地域であればあるほど、現在、被害の程度も捕殺頭数も、圧倒的に多い。
この事実は、これまで各地で実施されてきた農作物被害の防除対策に、どこか根本的な誤りがあったという証しにほかならないだろう。
本稿では、いったいどこに誤りがあり、それをどう改めれば有効な被害防除対策となり得るかについて、できるだけ具体的に考えていきたい。
これまでは、地域ごとに(自治体ごとに)、もっとも被害の大きい地区から優先的に、田畑に対する被害防除対策が講じられてきた。その対策は、大きく分けて二つある。一つは、花火やエアガンなど各種道具や犬などを使ってサルを威嚇し、田畑から「追い払う」方法、もう一つは、ネットを張り巡らせたり電気柵を設置して、田畑からサルを「締め出す」方法である。
これら二つのうち、田畑からの追い払い法については、以下のような問題がある。(1)追い払いを強化すればするほど、サルは近隣の田畑に出没するようになり、結果として、追い払いはサルの「追い散らし」になり、被害地域を拡大させてしまう。(2)田畑のすぐ背後は、今ではほとんどどこでも、手入れされていないスギ林やヤブ状の植生になっていて、サルに格好の隠れ場所を提供している。したがって、追い払いを行えば行うほど、それらの隠れ場所から追い払い行為をじっくり観察し学習する機会をサルに与えてしまい、サルは急速に「悪賢く」なっていく。(3)追い払いの継続を通して、より早く悪賢くなったサルとそうでないサルとの差が群れ内に生じ、田畑への出没の仕方に違いが生じて、群れの分派行動(いくつかの小集団に分かれて行動すること)が頻繁になっていく。その結果、群れは分裂し、分裂した集団は新しい地域に行動圏を構える。すなわち、群れの田畑からの追い払いは、群れを他地域へ「追い出す」ことになってしまう。このように、サルを田畑からいくら追い払っても、それは点的対策であり、どの地域でも事態を悪化させてきただけである。
もう一つは、ネットや電気柵によって物理的にサルを田畑から締め出す方法である。とくに電気柵は現在、サルの農作物被害に対する究極の防除対策といわれている。
しかし、この締め出し法についても、以下のような問題がある。(1)一つの田畑に電気柵を張り巡らしても、サルは近隣の、まだ電気柵を設置していない田畑に出没するようになり、結果として被害地域を拡大させる。(2)電気柵は設置するだけでも高価であり、維持費もかかり、管理も大変である。また、高価なため、電気柵を張れる農家とできない農家が出現し、被害は張れない農家の田畑に集中するようになる。(3)24時間暇で頭も良いサルは、電気柵の構造をやがて理解し、さまざまな手段や方法で隙間を作っては侵入を企てる。(4)電気柵を張って、田畑からサルの侵入を首尾よく締め出せたとしても、被害が発生している地域のいったいどこまで延々と電気柵を張り巡らしていけば被害を防ぎ切れるのか、道路などの建造物や急峻な谷底や、電気柵を張れないところは一体どうするのか等々、それは気の遠くなる、全く非現実的な話になってしまう(下北半島がその良い例である)。このように、サルを電気柵でいくら田畑から締め出しても、それはひどく途切れ途切れの線的対策であり、サルはいくらでも間隙をついて侵入するし、追い払い法と同様に事態を悪化させるだけである。しかも、この方法が追い払い法よりさらに悪いのは、そこにかなりの税金が投入される場合が非常に多いという点である。武田信玄が戦国時代、農民が洪水に悩まされ続けていた甲府盆地の治水について、地域ごとにばらばらな護岸工事(点的対策や線的対策)をいくらやっても効果が上がらずきりがないことを見抜き、川の流れを面でとらえ、川の全体構造を理解した上できちんとした計画を立てて護岸工事を実施、甲府盆地をみごと洪水のない沃土に変えた史実は有名である。
サルによる農作物被害は、北は青森県下北半島から南は鹿児島県屋久島にいたるまで、全国津々浦々におよんでいる。しかも被害は増大の、被害地は拡大の一途をたどっている。被害が発生する。それが一軒とか数軒の農家の被害の段階では、いくら苦情をいっても行政(市町村)が取り上げることはまずない。数年が通過する。被害は拡大し、やがて一つの集落全体に広がる。地元の行政は重い腰を上げ、とりあえず花火を配ったりして、各自が自分の田畑からサルを追い払うように指導する。
あとは最初の項で書いたように、追い払いが追い散らしになって、近隣の集落へと急速に被害は飛火していく。そうなって行政は、より上の行政(県や政令指定都市)へ問題を持っていき、被害対策を要請する。より上の行政はさらに腰が重く、また数年が経過する。事態の悪化が加速化する。やがて上の行政は、実態把握と称して、被害を頻発させている群れの生態調査を研究機関等に委託する。調査は通常2年間か3年間である。
その結果を待って、名称はさまざまだが、要するに対策会議を立ち上げ、また2年前後議論する。その結果は全国共通で、田畑からの追い払いの徹底と電気柵の設置だった。ところで、被害発生からここにいたるまでの年数を計算すると、優に10年は越えてしまっている。その間に、農作物をたらふく食べたサルの個体数は急増している。そして、群れの中に、道路があって車が走り、家があって田畑があり、人や犬からしばしば威嚇され、そうされてもすぐに身を隠せるスギ林やヤブがいたるところにある、そういった環境こそが自分の生まれ故郷だと認識する個体が群れのサルの大半を占めるようになる。
サルは生れ落ちてから、研ぎ澄まされた五感で自らの故郷を心身に刻印する。だから、人の住む里で生まれ、そこで育ったサルの故郷は人里であり、その認識はいつまでも消えることがない。無為無策ならまだしも、農家の苦しみの上に多額の税金や多くの知力や労力を投入して、結果として人の住む里を故郷と思うサルを大量生産して、行政はこのあと一体サルをどうしようというのだろう。
田畑や民家や車の行き交う道路のない奥山は、人里で生まれ育ったサルたちにとっては、魑魅魍魎の住む異界でしかない。サルがそうなってしまったあとの、被害防除のため残された唯一の手段は誰でも分かるだろう。そう、サルを取り除くことであり、その結果が毎年1万頭もの銃殺なのである。ここで、最初に農作物被害が発生した時点に戻って考えてみよう。たった一軒の農家の被害を重大視し、その時点で奥山への「追い上げ」を行っていたら、おそらく、ほんの僅かな費用と人力と時間で、群れは簡単に奥山へ戻っていったはずだ。まだ群れのすべてのサルにとって、故郷は奥山であり、人里は恐ろしい、なにをされるかわからない、命の危険にすらさらされる、まさにかれらにとって魑魅魍魎の住む世界だからである。自然災害は本当に恐ろしい。昨今は火山噴火や地震や洪水に悩まされ続けている。それに対し国や自治体は、起ったあとの万全を期す対策とともに、事前に予知して被害を最小限に食い止める噴火予知や地震予知などに、どれほどの英知と税金をつぎ込んでいることか。狂牛病やSARSも恐ろしい。その拡大を防ぐ水際作戦についても同様だ。癌もこわい。癌の治療法の開発と同時に、癌の予防法や早期発見法にも信じ難いほどの英知と税金がつぎ込まれている。
それらに比べたら、問題にならないほど楽で安上がりな、サルの農作物被害の早期発見と予防措置が、なぜこれまで、日本中のただの一ヶ所ですら、実施に移されることがなかったのか。答えはごく簡単で、ここに改めて書くまでもないだろう。
日本のどこの地域でも、急増するサルの農作物被害に苦しみながら、それでも、なんとか被害を少しでも減らそうと、さまざまな工夫がこらされている。最近の流行は最新のテクノロジーを駆使した方法である。メスザルを捕獲し、電波発信機を首に装着して群れに戻す。その電波をアンテナでキャッチし、群れの居場所や移動方向を確認する。その情報をインターネットのメールを通して、登録者の携帯電話に連絡する。情報には、群れがこれから向うのはどの田畑かという専門家の予想が付け加えられる場合も多い。あるいは、GPSシステムを利用して、サルの発する電波の位置が自動的にキャッチされ、位置情報がそのまま農家の携帯電話へ、という省力化も検討されている。
一方、携帯電話等で連絡を受け取った農家の人は、田畑で待伏せし、サルが現れたら即座に追い払いを行い、農作物への被害を最小限に食い止めようというわけである。しかし、この方法でも、田畑からの追い払いをすることに変わりはなく、先に書いたように、追い払いは結果として追い散らしや追い出しになってしまうのは間違いない。さらに厄介なのは、あらゆる威嚇手段で田畑からの追い払いを行っても、サルはすぐ背後に迫る手入れされていないスギ林やヤブの中に、気配を消してずっと隠れ続けるという行動特性をもっている点である。しかも、かれらは、隠れている間に、田畑でサル追いをする人の性別や年齢の違いに基づく諸種の行動特性、それに威嚇道具の効力までつぶさに観察し、どんどん学習していき、驚くほどの速さで「ずる賢く」なっていく。おそらく今後も、人はサルの田畑からの追い払い方法に、次々と新たな工夫をこらしていくことだろう。しかし、問題なのは、そういう努力を果てしなく積み重ねていった先、たとえば10年後には被害は解消するのか、20年後には解決するのか、全くもって見通すことができないという点である。筆者から見れば、このような方法では、10年後、20年後は、農作物被害問題は解決はおろか、被害地域はさらに拡大の一途をたどり、人里のありとあらゆる所でサルが動き回っているという状態になり、ついにサルの出没は市街地にまで及んで、単に農作物被害だけでなく、家の中へ侵入しての狼藉や、女性や子どもへ直接危害を加えるまで立ちいたってしまうこと、まず間違いない。その間に数軒の農家の被害がたとえなくなることがあったにしてもだ。
すなわち、人知を絞って対症療法的な方法をいくら講じてもどうしようもないわけで、発想の転換が必要とされるゆえんである。ところで、サルの寿命は、野生状態ではおよそ25年である。だとすると、20年もたてば、群れのサルのほとんどが入れ替わってしまうと考えていい。また、その半分の10年もたてば、今から生まれる新しい世代がこれまでに生まれた古い世代と入れ替わって群れの中核を占めるようになると考えていい。
そうすると、サルが入れ替わる20年先に長期目標をかかげ、世代の入れ替わる10年先を中期目標にし、その上で、これから1~2年は、これから3~5年はどうサルに対処していったら良いかを考えればいいことになる。そして、長期目標(最終目標)を、サルが人里に下りて来ることなく、奥山でかれらの野生を満喫しながら悠々自適に暮らす状態にすることだとして、おそらく誰一人異存はないだろう。
農作物被害の発生している地域で、サルの数が急激に増加する背景には、二つの要因がある。一つは食物条件の良好化、もう一つは気象条件の温和化である。サルの群れが人里に下りて来て田畑に出没しても、今は里山や奥山のいたる所に、舗装された立派な道路から急斜面をブルドーザーで彫っただけの林道まで、じつにさまざまな形の自動車道が走っている。もし、深い谷を横切り、連なる山の稜線のコルを越え、険しい絶壁をトラバースする昔ながらのサル道しかなければ、群れの移動はひどく制限される。それが人のつけた道伝いなら、1キロメートルなど本当にあっという間である。当然、群れは人里から里山や奥山まで、その日のうちにわけなく行き来することができる。
したがって、人里に出没するサルにとっては、これまで奥山や里山で食べていたものに、以下のような食物が上乗せされると考えていい。それらは、(1)高栄養で量も多い農作物。しかも農作物には、奥山のブナの実や里山のドングリのように、豊作とか凶作といった年変動が全くない。(2)人家周辺に多いカキなどの果実。最近はカキの実を採って干柿を作る人がめっきり減ったから、どのカキの木も晩秋まで赤く熟れた実をたわわにつけている。(3)夏の7月から8月にかけては、奥山や里山では山菜が終り、植物食や雑食の動物たちにとっては端境期になる。しかし、人里や林道沿いにはイチゴ類の実がいっぱいだし、クワやコウゾなどの実もあり余るほどに熟れている。また、人里には奥山や里山にごく少ない種類の低木や草本類の多様な果実や種子が実っている。(4)冬12月から3月も、北国の奥山や里山は雪に閉ざされて食物は乏しい。この冬の端境期、サルは人里の空き地や林道沿いに多いクワやコウゾの冬芽や樹皮を飽食できる。また、雪が降ってもすぐ融ける田畑には取り残しの農作物があるし、人家の脇には野菜類が捨てられている。畦道や人家周辺にはクローバーなどさまざまな草本類の葉が顔を出しているし、雪のすぐ消える道路ののり面や路肩にもイネ科の植物など多年性の草本類が生えている。
このように、人里へ下りることで、サルの食生活は信じ難いほどに豊かになる。もう一つの気象条件についてみると、(1)冬場は山の高い所より人里のある低地の方がはるかに温和な気候である。しかも、このところずっと暖冬傾向が続いている。(2)人里のある低地の細かい起伏やスギ植林地が、吹雪いたり冷え込んだりする冬期間、サルに雪や寒さを避ける恰好の泊り場(夜を過ごす場所)を提供する。 以上述べた二つ、すなわち、食物の良好化と気象条件の温和化がサルにどのような影響を与えるかというと、(1)幼齢や老齢のサルの死亡率が著しく低下する。(2)寿命が延長し、出産可能な年齢も高くなる(年をとってからでも出産する)。(3)初産年齢が、奥山に棲んでいた時は早くて7~8歳だったものが、4~5歳にまで下がる。(4)出産間隔が奥山では2~3年に1回だったものが、毎年出産になる。(5)一生のうちの出産回数が増加する・・・等々で、その結果、サルの数がうなぎ登りに増えていくこと、御理解いただけただろう。
最近では、大都市の中心部にも、頻繁にハナレザルが出没するようになった。仙台でも昨年、JR仙台駅や地下鉄泉中央駅近くなどに突然姿を現し、その都度ニュースになった。いずれも秋である。ニホンザル社会では、メスは一生を生まれた群れで過ごす。したがって、70~80頭を越える大きな群れでは、祖母と母親と娘と孫娘といった、四世代のサルたちが一緒に暮らしていることも多い。一方オスは、生まれた群れを必ず出る。出る年齢は個体によってちがうが、思春期の4歳頃から社会的に成熟する10歳位までがほとんどである。かれらは群れ外オスと呼ばれる。
群れ外オスは、年齢が若いうちは、2~3頭とか5~6頭の、オスだけの集団(オスグループ)をつくって暮らしているが、年齢がいくと単独(ハナレザル)で行動することが多くなる。そして、秋、交尾期が訪れると近隣の群れに接近し、その群れに追随しながらメスとの交尾の機会をうかがう。かれらの何頭かは、交尾期が終っても群れに追随し続ける。その中にはやがて群れに加わるオスもいる。
すなわち、オスの一生は、群れから出たり別の群れに入ったり、群れに追随したり、群れとは独立して行動したりの繰り返しである。油の乗り切った10歳から15歳のオスは、はるか遠くにいる群れのメスを求めて、50キロ、100キロメートルを一気に移動することも珍しくない。そして、人里で生まれ、人里になじみ切ったサルの中には、近道とばかりに、大都市の市街地を堂々と横切っていくハナレザルも出現する。市街地に現れたハナレザルは、警察署や消防署や農林事務所、自治体の関係部署、テレビや新聞等の報道機関、それに捕獲専門家と自称する人や野次馬等、じつに多くの人間に追い立てられ、うまく逃げ切れればいいが、たいていは御用となる。御用となったオスは、例外なく、檻に入れられ軽トラックかワゴン車に乗せられ、山奥の、サルの群れのいるところまで連れて行かれ、そこで放たれる。市街地でのハナレザル捕物帳を追ってきたマスメディアはこの時点で例外なく、それを「捕獲ザルは山奥で放たれた」、「無事サルを故郷に帰してやることができた」、「一件落着、めでたし、めでたし」と、美談風にしめくくる。これに対して、一般市民からクレームがついたり、抗議の電話や投書があった、という話はついぞ聞いたことがない。
しかし、冒頭に書いたニホンザルの社会構造からしたら、それは美談どころかとんでもない行為なのである。大都市の市街地を我が物顔に闊歩できるオスが山奥へ放たれれば、とりあえずそこにいる人馴れしていない群れに追随したり、群れに加入したりする。そうすると、このオスに引きずられ、奥山でひっそりと暮らしていた群れまでも人里に下りて来て農作物荒らしを始めるようになってしまうからだ。
オスグループも問題である。農作物被害を頻発させている群れの個体数は急増する。その群れは毎年、何頭もの人里生まれのオスを放出する。かれらはまず、同年齢や同世代のグループを作って近隣の群れに追随する。結果として、その群れも人里へ下りて来てしまう。ある群れが農作物被害を頻繁に起こすようになると、ごくわずかな年数のうちに、次々と近隣の群れが人里に下りて来て、被害を一気に拡大させてしまうのは、このような群れ外オスの影響がきわめて強い。それなのにこれまで、被害に苦しむどの地域でも、群れへの被害防除対策は微に入り細に入り立てられてきたのに、このようなハナレザルやオスグループに対しては、明確な対策が全く立てられなかったのは、一体どうしてなのだろう。
しかも、これらオスたちは、自治体という境界を群れよりもはるかに自由に越えて、驚くほどの広域を、寿命の尽きるまで闊歩し続けるのである。
サルだけでなく、シカやカモシカやクマでも同じだが、戦後、全国各地で立案・作成された野生動物の保護管理計画に、それが国であれ都道府県であれ市町村であれ、「個体数調整」という用語と、対象地域の線引き、すなわち保護地域、緩衝地域、調整地域(駆除地域)といった「地域区分」(地図上での線引き)のない計画は皆無といっていいだろう。そして、個体数調整が所期の計画通り順調に運んだ、地域区分通りに野生動物の保護管理が首尾よくいったという報告も、これまた皆無である。それはどうしてなのか。サルの場合を見てみよう。個体数調整とは、聞こえはいいが、簡単にいえばサルの駆除(ほとんどは銃器による射殺)を、世間体をおもんばかりつつ正当化したもので、被害農家の募る不満のガス抜き効果も含め、明らかにサルの都合が無視され人間の都合だけが優先している。まずは、以下の簡単な三つの問いに答えて欲しい。問題1:すっかり人馴れした群れ外オスが2頭、山奥の人馴れしていない群れ(50頭)に2年前から追随し始め、うち1頭が群れに加入、今年になってその群れが人里に下りて来て農作物に被害を与えるようになった。この時、「個体数調整」すべきと判断されるサルの頭数は何頭か。答え:とりあえず1頭、しかもその1頭は新しく群れに加入したオスでなければならない。もう1頭の追随オスについては可能な限り強力な道具を用いて威嚇を行う。そうして、群れからいなくなればそれでいいし、それでも追随し続けた場合には捕獲する。問題2:その群れ(50頭)は数年前から人里に下りて来るようになり、群れに追随するひどく人馴れした4頭の群れ外オスとともに、群れのオス1頭と、メス1頭とその3歳の息子は、いくら人間が強力な威嚇道具(モデルガンやロケット花火等)を用いて田畑からの追い払いを行っても、逆に人間を威嚇するまでになっている。この時、「個体数調整」すべきと判断されるサルの頭数は何頭か。答え:追随オス4頭のうちより年齢の若い3頭、群れオス1頭、3歳の息子の計5頭。問題3:すっかり人里の人為的環境になじみ、田畑荒らしどころか民家の屋根に上がったり、道路を平気で横切ったりと、我が物顔で生活している群れ(50頭)に対して、「個体数調整」すべきと判断されるサルの頭数は何頭か。答え:アカンボウと1歳のコドモを除くコドモ全部、ワカモノのオス全部、比較的人馴れしていないオスを除くオトナのオス全部、オトナのメスの半数ほど。したがって、この場合は群れの半数以上。本当は、実際にサルの棲んでいる地域に行って、サルをじっくり観察すれば、その時どきに的確な判断を迫られる微妙な状況にいくつも直面し、捕獲頭数(すなわち、個体数調整という名の駆除頭数)は問いごとに多少増減する。すなわち、いくらむずかしい数式を並べ立て、さももっともらしい理屈をつけて調整する(駆除する)数値をはじき出してみても、所詮は机上の空論以外のなにものでもない。さらに悪いのは、なんのために個体数調整をするのか、個体数調整したあとどうなるかの目標がまったくもってはっきりしていないため、被害農家の強い抗議をほんの少しやわらげるための、一時しのぎの数減らしに終始してきたというのが、これまで全国各地で実施されてきたすべての事例である。昨年末以来話題になっている天然記念物・北限のサルに対し、青森県は24頭のオスの捕殺を決定した。しかし、実際に駆除したとして、そのあと北限のサルはどうなるというのだろう。24頭を駆除しても北限のサルの農作物被害は今後もさらに増大し、被害地域もさらに拡大し、民家に侵入し人に危害を与えるサルも増え続けることだけは絶対に間違いない。ところで、先に書いた三つの問いに対する答えは、いずれも、その群れに一刻も早く人里から奥山へ戻ってもらうための捕獲数であり、かれらに真の野生の尊厳を取り戻させるための、かれら側に強いるぎりぎりの犠牲者なのである。すなわち、人間の都合による勝手な駆除ではなく、サルの側に立ったサルの痛みだといえる。個体数調整といわれてきたことについて、ここまで書けば、もう一つの「地域区分」、いわゆる地図上での線引きが、人間の都合だけを考えた机上の空論であり絵に描いた餅であることは、このシリーズに目を通されている読者諸氏には十分御理解いただけるだろう。そんな線は自然には存在しないし、どのような形であれ、人為的に引いた区分線など、サルが学習したり認識したりすることは金輪際ありえないのである。この線引きにはいつも、人間の土地利用の現状肯定を最優先に、かつサルの捕殺を正当化しようとするなんともいえないうさん臭さがつきまとっている。これは実際にあった話。特別天然記念物カモシカのすむ谷あい深くの小学校。学校の校庭の周囲は畑になっていて、カモシカが畑の作物を食べるので、山側と校庭を含んだ畑の境に電気柵を張り巡らした。そして、山側は保護区、畑側は個体数調整区とした。ある日の午後、1頭のカモシカが電気柵の隙間から侵入し、校庭をゆっくり歩いて、授業中の子どもたちと目が合った。子どもたちが先生に聞く。同じ一頭のカモシカなのに、あの柵の向こうにいれば特別天然記念物、こちら側に柵を越えたとたんに害獣だなんて、変じゃないですか。もちろん先生は無言だった。
農作物被害を頻発させている群れのサルに対し、個体数調整というさも科学的であるかの如き名目のもとに、銃器による射殺(一般には有害鳥獣駆除と呼ばれる)が全国各地で実施され、その頭数はここ数年、毎年1万頭を越えるまでになっていることはすでに述べた通りである。そこまでして、被害はどの程度減少したのだろうか。頭数を減らした群れのその後はどうなったのか。射殺によって、壊滅的打撃を受けた群れは、あるいは消滅したかもしれない。もし消滅していたら、そこに間違いなく隣接群が進出してきているだろう。消滅していなかったら、あっという間に元の頭数を回復しているだろう。これが駆除という行為後の全国各地の実情であり、どの道、果てしないイタチごっこであることに変わりはない。ところで、サルの銃器による射殺はどのように実施されるのか。ほとんどの場合は、自治体が頭数を決め(その基準はいたってまちまちである)、地元の猟友会に事業委託して実施に移される。そして、実際に射殺したとき、現場の写真を撮り、サルを土中深くに埋めることが猟友会に義務づけられる。まさに、大切な野生の生命が闇から闇へ、といった感じである。自然科学を標榜する研究者はみな、駆除決定の少し手前で、早々に現場から身を引いてしまっている。一方で、サルを撃つことを忌み嫌う風習が全国にあり、猟友会の多くの人たちにとって、この委託事業はけっして気の進むものではない。したがって、群れのサル1頭1頭を十分に観察し、個体識別して、農作物被害の頻発を主導しているサルを選び抜いて撃つといったことは、どの自治体でも実施されていない。また、もし自治体が猟友会にそうするように依頼したら、観察している間にサルに情が移ってしまい、彼らが個体識別した特定のサルに銃口を向けることなど、心情的にさらに出来難くなってしまうだろう。こういった、さまざまな背景があって、結局のところ現実には、サルの撃ちっ放しということになり、撃つことでどのような効果があったかなど、毎年殺される1万頭のサルたちのたった1頭ですら、きちんとした記録はどこにも残されていない。銃殺現場に研究者が立ち会ったという話も聞いたことがない。そんなことをこれからも延々と続けていくとしたら(実際にまだどこからも有効な代案は提出されていない)、野生のサルにとっても、共に日本列島で生きてきた私たちにとっても、あまりにも不幸なことだとしか言いようがない。今こそ私たちは、群れごとにどうしても駆除しなければならない個体を特定し、そうしたあと群れがどうなったかを追跡調査し、その効果を真に科学的に測定し、最も効果的な捕殺のあり方を見出す努力をすべき時だろう。そして、どうしても捕殺しなければならない個体とは、これまで繰り返し述べてきたように、サルの野生の尊厳を守るため、群れを奥山へ追い上げる行為を鋭意実施する中で、必然的に特定されていく性質のものである。
メールマガジン「みやぎの自然」 第33号 2005年5月 へ戻る。
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