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美術館講座
2012年度
美術作品の移動がもたらす社会的影響をテーマとした本講座は、本来一昨年3月に4回連続で開催の予定でした。その第1回、榊原 悟氏(群馬県立女子大学教授)による講演「異国に遣わされた屏風たち」の終了後、震災発生のため中断となっていましたが、このたび第2回以降の分について再開の運びとなりましたので、改めて受講者を募集します。(前回受講応募された方は、お手数ながら再度お申し込みください)
講師:庄司 淳一(当館学芸員)
1933年(昭和8)3月、「重要美術品等ノ保存ニ関スル法律」が帝国議会で可決成立します。その目的は、折からの経済不況と円安のために頻りとなった古美術品の海外流出に、法の網をかけることにありました。実質的な禁輸措置の断行です。《吉備大臣入唐絵巻》(平安時代末期作)が人知れずアメリカに渡り、ボストン美術館の所蔵品となっていた事実の発覚が、そのきっかけであったと言われています。一連の出来事の流れをたどりながら、そこに関わった人物群像や法律制定の得失といったトピックを交えてお話しします。
《吉備大臣入唐絵巻》(部分)
ボストン美術館蔵
[ウィーンのジャポニスム]
―装飾性への覚醒とその展開―
講師:馬渕 明子(日本女子大学教授)
印象派の絵画運動と、ナンシーのガラスなど工芸分野との間に、さして交流のなかったフランスの場合とは異なり、ウィーンのジャポニスムの特色は、絵画や版画をはじめ、建築、工芸、デザインなど、ジャンルを横断した緊密な結びつきにあります。ウィーンでは、早くから日本の美術工芸品が博物館資料として豊富に収蔵され、美術家養成のために活用されていました。こうした環境の中から、日本美術の装飾性を媒介として起こった革新について、クリムト、シーレの絵画やウィーン工房の活動を例にお話しします。
クリムト《成就》(部分)
(ストックレ・フリーズのための下絵)
オーストリア国立工芸美術館蔵
講師:林 道郎(上智大学教授)
ピカソの《ゲルニカ》は1937年のパリ万博会場で発表され、81年に作者の祖国へと帰還するまで、欧米諸都市をめぐる長い巡歴の旅を経てきた作品です。その移動のたびに、時の政治情勢や現地の文化環境によって実に様々の反応を引き起こしました。発表当初、ゲルニカ空爆の否定的モニュメントとして受け入れられたこの作品は、侵略戦争と大量虐殺告発の象徴として普遍化され、偶像化されるにいたります。幅広い解釈を許す作品の特質に着目して、《ゲルニカ》受容の在り方を、その流転の足跡を辿りながら考えます。
《ゲルニカ》を前に演説する
アトリー英労働党党首(ロンドン)
講師:榊原 悟(群馬県立女子大学教授)
奈良時代まで遡れば、屏風は貴重な舶来調度品でした。降って室町時代前半ともなると、一転して日本製屏風が外交の表舞台に立つようになります。足利将軍(日本国王)から中国(明)皇帝への進物として屏風が重要視されたからです。以来屏風は外交の必需品となり、天正遣欧使節の少年たちも、これを携えてローマへと向かいました。江戸時代を通した李氏朝鮮との善隣外交や、幕末の西欧諸国との修交までを範囲として、対外的に果たした屏風の役割と制作の背景、絵画としての特色について概観します。
《四季花鳥図屏風》(部分)
伝狩野永徳筆
白鶴美術館蔵
INFORMATION
2013年3月17日―31日の各日曜日 午後1時30分から
宮城県美術館アートホール
(佐藤忠良記念館地階)
約90分程度
60名
無料
電話または当館受付にて
Tel:022-221-2111
2011年3月時点で受講応募された方は、お手数ながら再度お申し込みください。
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