宮城県文化財調査報告書等刊行物
宮城県文化財調査報告書
これまでに宮城県教育委員会が刊行した宮城県文化財調査報告書は下記一覧表にて紹介しています。刊行した報告書は一部を除いて、独立行政法人奈良文化財研究所の全国遺跡報告総覧(外部サイトへリンク)にて公開されています。内容公開状況については一覧表でご確認ください。
パンフレット
特に重要な遺跡の調査成果については、パンフレットで概要を紹介しています。
宮城県文化財パンフレット
番号 |
PDFデータ
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所在地 |
遺跡の概要 |
1 |
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栗原市 |
古墳時代前期(4世紀後半頃)の集落跡です。大溝と塀で囲まれた竪穴建物跡からは古墳に副葬されるような銅鏡や鉄製品が出土し、当時の大型古墳分布域より北側に位置しながらも、近畿地方の中央政権との関係があった人たちの防御性の高い集落と考えられます。 |
2 |
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山元町 |
飛鳥~平安時代(7~9世紀)の役所跡(官衙)です。大型掘立柱建物跡や材木塀跡が発見され、「大領」と書かれた墨書土器や木簡などが出土しました。
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3 |
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多賀城市 |
奈良・平安時代の陸奥国府多賀城の南にひろがる都市跡です。平安時代には東西・南北方向の道路によって区画された約120m四方の街並みが整備されました。 |
4 |
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大崎市 |
奈良・平安時代に新田郡を治めた新田柵の南にひろがる集落跡です。新田柵から続く道路跡や道路と方向を揃えた掘立柱建物跡などが多数発見されたことから、官人(役人)たちが居住した集落だったと考えられます。 |
5 |
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大崎市 |
縄文~弥生時代の集落跡です。広場を中心に掘立柱建物跡や墓などが計画的に配置され、集落の外側に形成された捨て場からは土器や石器、土製品、骨角器などの多種多様な遺物が大量に出土しました。
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6 |
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栗原市 |
飛鳥~奈良時代の集落跡です。竪穴住居跡のカマドや出土した土器に関東地方と共通する特徴が認められたことから、関東からの移民集落と考えられています。この時期の栗原地域は、律令国家の外側の「エミシ」の地であり、御駒堂遺跡は律令国家が移民を送り込んで北への領土拡大を行ったことを示す遺跡と考えられます。
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7 |
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栗
原
市
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縄文時代、弥生時代と古代から近世の複合遺跡です。縄文時代前期後葉から中期初頭の広場を中心として掘立柱建物跡や墓などが計画的に配置された「環状集落」や、縄文時代晩期から弥生時代前期の集落などが見つかりました。 |