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本県の児童生徒等が東日本大震災での体験やその後の経験を通して学んだこと,郷土への想い等を綴った詩や作文,絵画等の作品等について掲載しております。
※県教育委員会が各市町村教育委員会に依頼し,ご提供をいただいた児童生徒等の作品等を掲載しております。
タイトル:10年後の宮戸島 平成23年度宮戸小学校 児童一同
「ふるさと」 住吉中学校 五十嵐 康政
「自分の生まれ育ったふるさとを描きました。震災後も復旧して多くのお客さんを集めている漫画館と震災の中で残った船の力強さを表現しました。」
「復興マルシェ」 住吉中学校 鈴木 逸人
石巻の復興を願って描きました。隣にはまだ、ブルーシートで覆われた建物がある中、石巻元気復興センターができて、人々の笑顔が見られるようになり、嬉しく思います。
お名前 | 一部抜粋 | 全文 |
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平塚 航太 |
震災当初、地域全体が暗い雰囲気でしたが、地域全体で助け合って生活し、世界各国や日本全国から食料やお金などを支援してもらったことで、地域のみんなの顔や街の雰囲気が明るくなっていきました。 |
全文(PDF:82KB) |
菅 拓斗 |
家族の安否がわからず、残された妹と二人でこの先どのように生きていくかを考えながら、長男としての覚悟を決めていました。 | 全文(PDF:70KB) |
安藤 悠貴 |
家に着いたときに母が僕を見た途端、僕のことを強く抱きしめてきました。あの時はなぜ抱きしめてきたのかわかりませんでしたが、今なら理解することができます。 | 全文(PDF:79KB) |
高橋 秀士 |
車や家などがどんどん飲み込まれ、鮎川の街一面が津波に覆われてしまいました。あまりにも残酷で唖然とするほかありませんでした。 |
全文(PDF:79KB) |
渡辺 明日香 |
涙など見せたことのない父が、涙で顔をぐちゃぐちゃにし、「子供たちはみんないるのか?」と言っていたと母から聞いて、父の私たちを思う強い愛情を感じました。 |
全文(PDF:85KB) |
大澤 千紘 |
こうして(被災したことで)自分を見失い、財産も失ったわけですが、震災で得たものもあります。それは「絆」です。 | 全文(PDF:76KB) |
佐々木朱里 |
多くのボランティアの方々と様々な支援をしてもらったり、交流を持ったりすることで、世界中の人との絆を感じることができました。もし、同じような震災が起きたとき、今度は自分が支援していきたいと思います。 |
全文(PDF:77KB) |
鈴木 滉生 |
自分たちが経験したことを多くの人に伝えることで、二度と多くの人々が苦しまないようにしたいと思います。 | 全文(PDF:76KB) |
渡辺 匠 |
将来、私は漁師になりたいと思っています。震災を経験したことでその気持ちをさらに強くしました。 | 全文(PDF:73KB) |
安藤 敏也 |
あれから3年が経ちますが、まだ、復興には時間がかかります。中学生ができることは限られていますが、ソーランを踊ることで地域の人々を笑顔にしたいと思います。 | 全文(PDF:80KB) |
震災記録写真
記録写真1(JPG:195KB) 記録写真2(JPG:270KB)
お名前 | タイトル | 一部抜粋 | 全文 |
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菊田 佳那 | 「今,伝えたいこと」 | 震災直後に取材に来た海外のメディアが,「気仙沼には,もう人は住めないと思うがどうですか。」と先生に尋ねたそうです。ですが,先生は「この生徒たちが,必ず元の美しい気仙沼に戻します。私たち大人はそれを全力で支援します。」と伝えたとの話を聞き「私たちは期待されている。その信頼に応えられるよう,頑張って生きていこう。」と思いました。 | 全文(PDF:147KB) |
菊田 春 |
三味線のひびきに乗せて |
あの大震災から1年が過ぎた昨年の3月11日。私は気仙沼の「復興マルシェ」という商店街の開店記念で,三味線を弾きました。私の三味線を聴いている時間だけでも,辛いことを忘れてほしいという願いを込めて。 | 全文(PDF:133KB) |
梶原 裕太 |
卒業生代表の言葉 |
後輩の皆さん,階上中学校で過ごす「あたりまえ」に思える日々や友達が,いかに貴重なものかを考え,いとおしんで過ごしてください。 | 全文(PDF:108KB) |
お名前 | タイトル | 一部抜粋 | 全文 |
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菊田 琉美菜 |
ありがとう |
天国のじいじとばあばへ |
全文(PDF:82KB) |
館山 慶 | ひまわりのひみつ |
(また大きな地しんがきたら、お母さん、すぐに迎えに来てくれるかな。お母さんと会えなかったら……。)と考えるだけで、どうしよう、どうしよう、という気持ちがずんずんと大きくなって、泣きたくなってきます。 |
全文(PDF:90KB) |
佐藤 麗藍 |
笑顔の力 | 震災とか、バアちゃんが亡くなったりとか、いろんな事があったけれど、お父さん、お母さんの笑顔や友達の笑顔で、ぼくも元気になりました。 | 全文(PDF:53KB) |
水戸 更 | 汽車ポッポのおばちゃん |
おばちゃんは,わたしが学校に出かけるときにはかならず, |
全文(PDF:152KB) |
菅野 匠 |
新校舎落成式児童代表のことば |
震災の後、たくさんの友達が転校していきました。転校していった人たちも、きっと、この新校舎に入って、友達と遊んだり、勉強をしたり、給食を食べたりしたかったと思います | 全文(PDF:70KB) |
お名前 | タイトル | 一部抜粋 | 全文 |
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梶川 裕 |
「忘れないために」 |
震災から二年あまりしか経っていないのに、十年以上も暮らした環境を感覚を失いつつある自分がいたのです。僕を今まで育ててくれたこの温かな場所を、心の片隅から消しさってしまうのかと、自分自身がとても怖くなりました。 | 全文(PDF:110KB) |
お名前 | タイトル | 一部抜粋 | 全文 |
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大宮 愛梨 | 「私のふるさと」 |
家族のように暮らししていた街の人たちとも、離れ離れになり、私たちは避難先を転々としました。この仮設住宅を出たら次はどこへ行くのかと考える時があります。 |
全文(PDF:116KB) |
若生 宇未 | 「思いをのせて」 | 楽器もない、一緒に音を合わせる仲間がいない、吹奏楽をする者にとってどんなにつらいことだったでしょうか。でも、その悲しみを先輩方は封印しませんでした。亡くなった仲間をいつもそばに感じて音楽を奏でていたのです。 | 全文(PDF:122KB) |
児童が作成した発表資料 | |||
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お名前 | タイトル | 資料 | |
繁名健太朗 | 下増田小学校の避難所の様子 | 資料(JPG:1,312KB) | |
和賀悠樹,安倍一葉,洞口知輝 | 3・11にどんな津波が起こった? | 資料(JPG:1,615KB) | |
曽我瑠愛,大渕日菜 | 3・11みんなはどこにひなんしたか | 資料(JPG:1,456KB) | |
宮里祐羽,密岡絢寧,村田藍琳,浅野結愛 | 津波に流されたけど助かった人 | 資料(JPG:1,904KB) | |
高橋優里彩,菊池真奈,柴田華音 | 津波被害 | 資料(JPG:1,581KB) | |
名取陽菜,荒川麻理絵,石崎藍海 | 仮設住宅の被害 | 資料(JPG:1,655KB) | |
高橋莉子,洞口凜 | 多くの人が犠牲になった | 資料(JPG:1,444KB) | |
荒井颯人,菊地晃斗,吉田琉那,市川翔一 | 次のつなみがきたらどこににげればいいか | 資料(JPG:1,521KB) | |
鈴木賢杜,高野愛花 | ていざんうんが何のためにつくったか | 資料(JPG:1,552KB) | |
佐々木陽,目崎碧都,針生樹 | 次の地震を予測する | 資料(JPG:1,650KB) |
お名前 | タイトル | 一部抜粋 | 全文 |
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阿部 遙 |
吹奏楽部の絆は永遠 |
コンクールの練習をしていると,震災で色々な思いを経験した部員の一人一人が大きく成長しているように感じました。 | 全文(PDF:90KB) |
川村 歩 |
忘れてはいけない |
この震災は 良くも悪くも 貴重な体験 家族や友達との絆 私を支え助けてくれたたくさんの人 けがえのない大切な何か この体験を忘れず 私たちに出来ることを考えながら生活していこう そう思った |
全文(PDF:89KB) |
菊地 春花 |
強い心 |
自分の敵はいつでも自分 これからも頑張っていく 震災で培った強さを持って |
全文(PDF:95KB) |
吉川 彩花 | 倒れても |
大丈夫 怪我してない こっちおいで 近所の人に声をかけられた |
全文(PDF:73KB) |
佐藤 愛 |
生まれる前からあった絆 |
そのつながりは,今新しくできたものではなく,前からあったものだと思いました。私たちの両親や私たちが生まれる前に,すでに種をまいて,育ててくれた人がいて,さらに少しずつつなげてくれた人がいたからこそ強い絆であったのだと心から感謝しています。 |
全文(PDF:86KB) |
佐藤 由奈 | 幸せがあることは |
生きている意味が分からなくなっても 生まれて生きたから生きるのだ |
全文(PDF:67KB) |
藤野 慎也 |
東日本大震災の経験を今後に活かすために |
宮城県沖地震ならば,最大でこれぐらいの大きさだろうから,こう対応すればいい,これをつくっておけば大丈夫だろう,というのは確かにすばらしいことだ。しかし,日本は地震のとても多い地震大国なのだから,もっと慎重に,そしてもっと出来るだけ正確に,それらを見極めていく必要があったのだろうと私は考える。 |
全文(PDF:137KB) |
お名前 | タイトル | 一部抜粋 | 全文 |
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榎田 星音 |
「あの日の恐怖」 |
このように,東日本大震災はおおくの人を傷つけ悲しませたのに変わりはありません。しかし,この震災を通して改めて命の大切さを実感できました。もう二度と起きて欲しくない事だと思います。だから,体験した私達が一生忘れず,後世に残し伝えていきます。 |
全文(PDF:117KB) |
大川小学校 武山詩織【7年生(中学校1年生)大川小学校からの転入生】
お名前 | タイトル | 一部抜粋 | 全文 |
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後藤 優里奈 | 未来へ | 私は,この震災のこと,それによって経験したこと,震災を通して学んだことをいつまでも忘れないでいようと思います。津波や地震の恐ろしさや命のことを胸に,志津川の海を見ながら毎日暮らしている別れてきた友達,そして米山中学校でできた新しい友達とともに,私は自分の未来に向かって力強く生きていきたいと思います。 | 全文(PDF:99KB) |
「夢と希望にあふれる10年後の宮戸島」
<壁画制作に至った経緯等>
東日本大震災で宮戸島は,多くの家々や浜が津波で流されました。この震災に負けず未来に向かってがんばるために,10年後の宮戸島の風景を全校児童29人,一人一人が画用紙に描きました。
一人一人が描いた10年後の宮戸島の絵を,似た風景ごとにグループを作って話し合い,ベニヤ板4枚分の壁画にしたのがこの絵です。大きな壁画を作っていく活動は,私たち小学生にできる宮戸島復興の活動そのものだと思っています。全校で絵を描いて,気持ちが一つになりました。絵も上手くいったし,これからも絵に込めた気持ちを忘れずにいたいです。
平成23年度宮戸小学校 児童一同
お名前 | タイトル | 一部抜粋 | 全文 |
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澤田 栞 | 木造校舎の思い出をむねに | ダッ ダダダダダッ 新しい校舎を建てる音が聞こえる そこには 私たちの大好きな 木造校舎があった 3月11日のあの地しんで 使えなくなってしまった木造校舎 これまで 繰り返しあった大きな地しんでも びくともしなかった私たちの木造校舎 それが,私たちの自まんだったのに | 全文(PDF:46KB) |
お名前 | タイトル | 一部抜粋 | 全文 |
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松田 奈々美 | 私を変えた震災体験 | 私は,震災後,人に対する考え方,日々の生活に対する考え方が大きく変わりました。当たり前なのではなく,使えることに感謝することに,日頃から友達と良く助け合うことが今の私の生活の基本スタイルとなています。 | 全文(PDF:168KB) |
須貝 悠香 | 私を変えた震災体験 | これまで,私は(自分なんかどうなってもいいや。)と開き直って生活してきたこともありました。これからは,自分の命に責任を持って生きていきたいと思います。 | 全文(PDF:63KB) |
生徒による仮設住宅での除草作業等の様子
お名前 | タイトル | 一部抜粋 | 全文 |
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戸邊 優希 | 忘れないあの日のこと | 「家もカキも大変なことになっちゃったけれど、いつまでもくよくよしてられない。復興しなくちゃね。」と話されたのです。僕は驚いてすぐに言葉が出ませんでした。震災の後、電気がストップして不便とか、買い物に行っても並ばないと買えないとか、そういうことが一番大変だと思っていた自分には、想像も付かない出来事が起こり、おばあさん達沿岸部に住む人や、働く人の日常をあっさりと奪っていったのです。一番苦しんでいるはずのおばあさんの口から「復興」の二文字が出るなんて信じられませんでした。 | 全文(PDF:118KB) |
お名前 | タイトル | 一部抜粋 | 全文 |
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阿部 涼可 | 3.11 あの時,私は・・・ | 復興にはまだまだ時間がかかると思います。でも日本中の人たちが被災地に心温かい協力をしてくれていることを知り,感謝でいっぱいになりました。日本だけでなく世界の国々からも被災地に来て,がれき処理などの復興のお手伝いをしていることをニュースで知り,とても心にひびきました。 | 全文(PDF:147KB) |
石川 綾音 | 3.11 あの時,私は・・・ | ぐらぐらと強いゆれが小学6年生の私達をおそいました。卒業式をむかえる前に休校になってしましました。勉強も途中のまま,卒業をして,皆とも満足にさよならを言えずに離れてしまいました。 | 全文(PDF:114KB) |
一部抜粋
私たちは 一瞬で校舎を失った もう入れない学舎を前に 不安の多い毎日だったけど
たくさんの人に支えられ 過ごした3ヶ月を忘れない
お名前 | タイトル | 一部抜粋 | 全文 |
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石井 琴音 | 「今までも これからも」 |
避難所の帰り道に母が言いました。 |
全文(PDF:117KB) |
お名前 | タイトル | 一部抜粋 | 全文 |
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武者 香織 | 生きるということ | あのとき兄が駆けつけてくれなければ,今私はこうしてここに立っていられなかったかもしれません。生きたくても生きられなかったたくさんの方々を目の当たりにして,私は「生きる意味」について考えるようになりました。 | 全文(PDF:125KB) |
大友花(新入生代表) | 新入生代表の言葉 |
様々な場所で大分県や愛媛県などのボランティアの人達を見かけます。私はその人達の働いている姿を見るたびに,感謝の気持ちで胸がいっぱいになります。テレビを見ると日本中の人達が応援してくれていて,元気がわいてきます。 |
全文(PDF:193KB) |
武田尚人(生徒代表) | 在校生代表の言葉 |
ご来賓,保護者の皆さま,今日はお忙しい,ご出席いただきありがとうございます。震災で何もかもがなくなってしまい,ゼロからのスタートとなってしまいました。でも,今の荒中生なら前と同じように,それ以上に素晴らしい荒中を作っていけると思います。荒中生一丸となって頑張っていきますので応援よろしくお願いします。 |
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武田尚人(卒業生代表) | 卒業の言葉 |
よく「頑張れ!」というメッセージをもらいます。頑張れというのはいい言葉のはずなのに「もう十分頑張っているのに」と思いあまり嬉しく感じられない時があります。でももし自分たちが逆の立場だったらどうでしょうか。何も分からない状況で相手に声をかけるとしたら,僕はきっと「頑張れ」が真っ先にでてくると思います。だからお互いの気持ちを理解し合い,共に歩んでいくことが復興につながると僕は思います。 |
全文(PDF:181KB) |
防災ポスター作品 福田 あみ
「生きる」 女川第一中学校生徒作品
一部抜粋
今、女川町はどうなっていますか?悲しみで涙を流す人が少しでも減り、笑顔あふれる町になっていることを祈り、そして信じています。
女川中学校(当時 女川第一中学校,女川第二中学校)生との句
一部抜粋
夢だけは 壊せなかった 大震災
みんなの前 笑えているかな 自分の顔
ただいまと 聞きたい声が 聞こえない
あの人が 帰ってきてた 夢を見た
白球を 追ったあの場所 仮設建ち
前進だ 私もあなたも 女川も
仙台市教育委員会からは,「平成25年度版新防災副読本」をご送付いただきました。
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