みやぎゆかりの人々
明治時代以降を中心にさまざまな分野で活躍した、宮城県にゆかりのある人々をご紹介します。
- 千葉 卓三郎(ちば たくさぶろう)
- 二階堂 トクヨ(にかいどう とくよ)
- 中島 鋭治(なかじま えいじ)
- 吉野 作造(よしの さくぞう)
- 園部 秀雄(そのべ ひでお)
- 岩崎 卓爾(いわさき たくじ)
- 佐藤 忠良(さとう ちゅうりょう)
- 谷津 はつね(やつ はつね)
千葉 卓三郎
(ちば たくさぶろう)
西多摩郡五日市町(現・東京都あきる野市)で教壇に立つ傍ら、自由民権運動に参加し、憲法草案の起草という偉業を成し遂げた。
写真:千葉卓三郎出生の地 志波姫タクロン公園
(栗原市志波姫)
二階堂 トクヨ
( にかいどう とくよ)
1880年(明治13年)-1941年(昭和16年)
日本初の女子オリンピック選手である人見絹枝のほか、8名のオリンピック選手を育てた。

写真:二階堂トクヨ住居跡(大崎市三本木)
中島 鋭治
(なかじま えいじ)
駒沢給水塔の設計者。東宮御所の水道施設をはじめ日本や旧満洲の多くの近代水道施設を手がけた。

写真:小川一真編『東京帝国大学』小川写真製版所、1900(国立国会図書館デジタルコレクション)より
吉野 作造
(よしの さくぞう)
「国民のための国民による政治」を目指し、議会を中心とする政治の実現に力を尽くした。

写真:国立国会図書館「近代日本人の肖像」
(https://www.ndl.go.jp/portrait/)より
園部 秀雄
(そのべ ひでお)
生涯で敗北した試合は1回のみともいわれる。
東京の女学校や道場で、薙刀の指導を通して心を磨く教育を目指した。幼名は「たりた」。

写真:園部秀雄顕彰碑(大崎市岩出山)
岩崎 卓爾
(いわさき たくじ)
石垣島において気象観測を通じ台風の研究を行った。一方で、生物、民俗、歴史に関する調査を行い、八重山研究の基礎を築いた。

写真:岩崎卓爾像と石垣島地方気象台
(石垣島地方気象台ホームページより)
佐藤 忠良
(さとう ちゅうりょう)
1912年(明治45年)-2011年(平成23年)
自らを職人と呼んで彫刻の技をみがき、人間愛、自然愛にあふれた多くの作品を制作した。また、子どもたちの感性を豊かに育むための美術教育にも力を注いだ。

写真:佐藤忠良(宮城県美術館提供)
谷津 はつね
(やつ はつね)
仙台で医学や看護学を学んだ後故郷の耕野村に戻り、37年間にわたり助産師をつとめ山間地域の医療と福祉に貢献した。

一刻も早く駆け付けるため、当時大変珍しかった婦人用自転車を使っていた(写真はイメージです)
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