東日本大震災宮城の震災対応記録

(職員インタビューによる震災の記憶・経験の伝承)

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人命救助・救急活動の展開

 発災直後、直ちに県災害対策本部内に「ヘリコプター運用調整班」が設置されたが、人命救助の要となる県防災ヘリコプター管理事務所は、およそ1時間後に襲った津波により孤立。屋上に避難し、危うく難を逃れた航空隊員の眼前で県の防災ヘリは流出・破損した。発災当日の夜、航空隊員が県庁に移り、本格的なヘリコプターの運用調整が開始されたが、各機関の救助ヘリを一元管理するのは困難であり、エリアごとに担当する機関を割り振っての調整となった。津波により沿岸部の道路が寸断され、陸上部隊による救助活動が困難を極める中、人命救助を最優先とする発災後72時間においては、関係機関の多数のヘリが救助活動に当たった。
 発災当日15時36分、県は総務省消防庁に緊急消防援助隊の応援を要請し、災害対策本部に「宮城県消防応援活動調整本部(以下「調整本部」)」を設置。消防庁長官の指示により、全国各地から緊急消防援助隊が本県に駆けつけた。18日のピーク時には833隊3257人が県内で救助活動を展開した。
 発災後72時間が経過し、生存者の発見が次第に難しくなっていく中、警察、消防、自衛隊、ともに遺体捜索が明確な所掌業務と位置づけられていない状況での活動が続いた。緊急消防援助隊の活動期間は通常1週間程度であるが、今回は被災規模が大きく、活動が長期に及んだため、調整本部では、その撤収時期について市町村と調整を図った。

後輩たちへのメッセージ

関連項目

東日本大震災ー宮城県の6か月間の災害対応とその検証ー

(宮城県総務部危機対策課・平成24年3月)

東日本大震災ー宮城県の発災後1年間の災害対応の記録とその検証ー

(宮城県総務部危機対策課・平成27年3月)

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