メルマガ・みやぎ 応援職員の声No.3
応援職員の声 ・・・東部保健福祉事務所
宮城県は、震災からの復興事業に携わるため、全国の自治体からたくさんの応援職員を派遣していただいています。技術職の方を中心に、ピーク時には約260人、現在も約180人の応援職員が県内各地で事業に取り組んでいます。
このコーナーでは、震災復興業務に携わっている応援職員の方々にインタビューを行い、復興の進捗や宮城の生活で新鮮に感じたエピソードを通し、「宮城の今」をお伝えします。
今回は、新潟県から派遣され、東部保健福祉事務所で主に高齢者業務に携わる野崎愛技術主査(保健師)に話を伺いました。
- 編集部
派遣の時期、業務内容を教えてください。
- 野崎さん
今年の4月から、1年間の予定で派遣されました。新潟県は、平成23年度から任期2カ月で保健師の応援職員を東部保健福祉事務所に派遣していましたが、平成27年度からは任期が1年間になりました。
現在は、成人・高齢班に所属し、主に認知症対策など高齢者業務を行っています。被災地支援業務としては女川町を担当し、被災者のケアや生活で抱える課題解決などを町と一緒に検討しています。
震災の半年後には気仙沼に派遣され、避難所から仮設住宅へ移られた方を訪問し、健康状態の確認などに携わりました。
- 編集部
2回目の派遣なのですね。今回はどのような気持ちで派遣に臨みましたか。
- 野崎さん
一年間も宮城県で仕事ができるので、私なりに震災のことを学び、そして、石巻はもちろん県内の良いところをたくさん知って帰りたいと思い派遣に臨みました。職場の方々が親切に接してくれたおかげで、楽しくお仕事をさせていただいています。
- 編集部
女川町と関わる中で、どのような課題を感じますか。
- 野崎さん
例えば、被災者の方が仮設住宅から公営住宅に移られたことで、新たなコミュニティーを地域全体でどう作っていくか、また被害者の方お一人お一人も慣れない生活を送る上で細かい悩みがあります。町の職員や町民が集まってこれらの情報を共有し、被災者支援に限らず住民全体が抱える日常の課題を視野に入れながら支援策を検討しています。
- 編集部
復興の状況についてどう感じていますか?
- 野崎さん
各地の震災の伝承館を訪れるなどして当時の様子を知り、改めて被害の甚大さを実感しました。もうすぐ震災から7年がたちますが、今も沿岸部は堤防やかさ上げ工事が行われています。
- 編集部
伝承館には、プライベートでも行かれるのですか。
- 野崎さん
石巻市や東松島市、女川町の伝承館や、沿岸部で語り部の話を聞いたことがあります。特に、語り部の話を聞き、震災の過酷さや、震災に対する備えの大切さが身にしみました。このことを新潟県の方々に知っていただきたいので、まずは家族や友人らを宮城に招き被災地の今を伝えるようにしています。
震災を後世に伝える取り組みが沿岸部を中心に活発に行われています。新潟県も大きな地震を2度経験しており、風化防止に向けた取り組みは新潟県でも続けていかなければなりません。

【南浜つなぐ館前の看板】
- 編集部
宮城の観光地巡りもされたようですが、印象に残っている場所はありますか。
- 野崎さん
県内のいろいろな場所に行きましたが、特に印象に残っているのは、石巻市を流れる北上川沿いに広がる「葦原(よしはら)」です。秋に山の紅葉を背景にして夕日に輝く葦がとても美しくて感動しました。他にも、蔵王のお釜や鳴子峡の紅葉、鳴子温泉、気仙沼の大島など、どれも素敵な場所だと感じます。

【葦原の写真】
- 編集部
その他に、石巻でのエピソードはありますか。
- 野崎さん
派遣に来て2カ月目の頃、道に迷ってしまい、ドラッグストアの店員さんに道を尋ねると、途中まで道を案内してくれたんです。私のイントネーションから県外出身者と分かったようで、「もしかして復興の仕事で県外から来てくれたんですか」「遠いところから、ありがとうございます」と、優しい言葉まで掛けてくれて。石巻はとても人に温かい地域だと感じました。
- 編集部
宮城の復興のために新潟県から来てくれていること、とてもありがたいと私たちも感じます。町の方一人一人もそう感じるから、そうした会話が生まれるのではないでしょうか。
- 野崎さん
もう一つ、驚いたエピソードがあります。石巻で「殻付きウニ」をはじめて食べました。新潟県で食べたことのない、鮮度の高い殻付きウニに大変驚きました。宮城の方にそのことを伝えたら、どこでも食べられると思っていたようで、逆に私の話に驚いていました。新潟に戻ったら、他県の観光地だけでなく、地元のことをもっと知る努力をしようと思うきっかけにもなりました。
- 編集部
新潟県に帰ったら、この経験をどのように生かしていきたいですか。
- 野崎さん
地震の際はどう行動するかという研修を新潟県で受けてきましたが、宮城県でも、さまざまな研修に参加させていただき、保健師の動きについても学ばせていただきました。すぐに動けるようにシュミレーションしておくこと、市町村と保健所が連携することが大事だと改めて思いました。新潟県に戻ったら、日常からの備えや市町村との関係性を大切に業務をしていきたいです。
編集部から一言
野崎さんは、毎月のように新潟県から友人や家族を宮城に招き、宮城の魅力や震災の様子を伝えてくれています。日々の多忙な業務の中、宮城の良さを広めていただいていること、とても嬉しく思います。野崎さんの熱意を見習って、われわれも宮城の魅力的な情報を皆さんにお届けできるよう頑張ります!!